全身痛消えた女子学生
佐々木正美
志望する大学に入学できないまま、他に何もするあてがないといいながら、ある短期大学に通学中に、全身の痛みに苦しみ始めた女子学生がいた。
小学校低学年のころから、母親の勧めでピアノを習い始め、中学の終わりから高校時代にかけて、音楽大学を志望して将来は「音楽家になりたい」と思うようになったが、ある音楽大学の夏季講習に出席したところ、すっかり自信を失ってしまったという。
それで志望を別の大学の文学部に変更して、小説家か劇作家になりたいと思ったが、その大学の入試に失敗したので、とても作家にはなれないという気持ちになって、現在通学中の保育短大を受験したら「合格してしまった」という。
全身の痛みに対する一通りの医学的検査の結果は、何も異常が発見されず、心因性の痛みか疑われた。心因痛、すなわち精神的かっとうや欲求不満などが持続した結果現れる全身的な痛みは、最近の若者に少なくない。
しかしこのとう痛は全身の至るところに出現するようでいて、正確なある特定の場所ははっきりしない。それにしばしば痛みの部位が移動し眠りに伴って消失する。
神経痛その他の身体的な原因によるとう痛と違って、痛みのために睡眠が妨げられるということがない。それに何か楽しいことにでも、意欲的に熱中している間は、痛みは自覚されない。私との面接場面でも、痛みを訴えることはまれであった。
私は彼女に、なんでもいいから楽しみながら参加できるクラブ活動のようなものに入ることを勧めてみた。
やがて彼女は大学内にある人形劇のクラブに入り、劇中の音楽を担当してアコーディオンなどを演奏することになった。この人形劇団は、種々の子供の施設や老人ホームを訪ねて上演することが多い。
いつのころからか彼女は、私の診療室へやって来ても、身体上の不調について口にすることはなくなって、主に劇団活動の楽しさやいろんな施設訪問への意欲を語って帰るようになった。時々同伴する母親も、こんなに明朗で活動的になった娘は、もう何年も見たことがなかったという。
「私このごろ、すごーく生きがい感じちゃう」と言い残して帰って、もう何ヵ月も会っていないが、先ごろの四月終わりから五月にかけての。コールデンウイークには、東北地方を人形劇の仲間と旅行しているといって、山形から絵はがきをくれた。それにも「生きがい」という言葉があった。

※約30年以上前に佐々木正美先生が寄稿されたものです。当時の文章のまま掲載いたします。定期的に更新予定です。
