愛されるより、愛したい  ~フロムが語る愛~

愛されるより、愛したい  ~フロムが語る愛~

「人を愛したい」と思うより「人から愛されたい」と望む人が多いようです。子育てにおいても、子どもを愛したいという感情より、子どもが何かしてくれることを期待し、結局は自分が愛されたいという自己愛が強い親が増えていると聞きます。

愛するとは、どんな意味をもつ行為なのでしょうか。精神分析学者フロムが語る愛をもとに、愛すること、愛されることについて、精神科医の佐々木正美先生にお話を伺ってみました。

■自由はありすぎると自由ではなくなる

Q/フロムについて、伺えますか。

佐々木正美/ フロムはフロイトの弟子なんですが、かなりフロイトを批判した人です。でも、フロイトがいなかったらそれを越えるフロムという人も出てこなかったと言えますね。フロムは、人間のすばらしさを非常に具体的に文明的に考えた人です。自由からの逃走、つまり人間は自由を与えられすぎると、結局は自由を持て余してしまって実につまらない束縛の中に身を置いてしまう、ということを言った人なんです。

Q/具体的に身近な例をお話いただけますか。

佐々木正美/ 今は私たちは自由な時代に生きていますね。女子高校生が援助交際をしても、だれにも迷惑をかけていないから自由じゃないかと言って開き直って行動できる。ところが偏差値というものの不自由さから逃れられない。自由というのはありすぎると自由でなくなる。そういうことを実に細かく見つめた人ですね。フロムは。

日本は97%の人が高等教育を受けていますが、大変不自由な国なんですよ。なぜなら勉強をしたくない人もしなければならないからです。高等教育を受けていないと社会から認められなくなるので、仕方なく受けている人が出てきてしまう。豊かさは人を自由にしません。不自由なことも選択してしまうのです。

■現代社会は際限のない欲望を生んでいる

Q/フロムは、現代社会をどう見ていたのでしょうか。

佐々木正美 フロムは現代社会を、「過剰と倦怠の時代」だと言いました。現代人は、生産量と消費量が多い社会を文化水準が高いと思っている。フロムは何十年も前に、それはとんでもないことだと指摘しました。現代人が環境汚染に気づいたのは、つい最近でしょう。とにかく次々と流行を作ってどんどん生産して消費しています。物と、それが欲しいという欲望をも生み出して。こういう消費文化に乗ってはいけない、とフロムは言っています。人間というのは溢れるばかりの自由な社会なのに受け身で生きている。受動的に生かされている。そしていつも貧しいと感じている。或いは不十分だと感じている。これだけ自由な生き方が選択できそうにみえる中で、マイペースで積極的に、自主的に主体的に生きているという人がどのくらいいるでしょうか。操られているのではないですか。受動的な人ほど、嫉妬、貧欲、無力感、劣等感に苦しむとフロムは言います。嫉妬というのはすぐ近くにいる人が対象になります。受け身の生き方をしている人は、お隣りの新居やお向かいの高級車、親戚の子どもの偏差値の高さが気になるのです。主体的に生きている人には関係ないと思えることがね。

■愛されることばかりに心を砕く現代人

Q/子育てでも受け身な親が多いと思われますか。

佐々木正美現代人は受け身ですよ、受動的になりました。コマーシャルに操作され、見えない糸で操られる。ですから主体性がないんです。お隣りはお隣りなんです。貧しい時代にはこのことがはっきりしていた。今はどうですか。昔の母親は強かったですよ、堂々としていたと思いますね。子どもが「○○ちゃんが何々を買ってもらったから私も欲しい」なんて言ってきても、「よそはよそ、うちはうちです。そんなに○○ちゃん家がよければお母さんが頼んであげるから○○ちゃんの家の子になりなさい」と言ったものです。今ではオロオロしてしまってパートに出ても買ってあげちゃうでしょう。(笑) これがいけないんですよ。

「私は私」という生き方をすることが大切なんです。愛情によって何かを生み出す力が弱くなっている。愛されることばかりに心を砕いて。

Q/愛する、愛されるというと恋愛を連想しますが……。

佐々木/恋愛というのは人を愛する行為ではない。愛されたいという行為です。始終恋愛をくり返している人がいますが、愛情に溢れているのではないんですよ。愛されたいという欲求が強いからなんです。だから、愛に飢えている。それまであまり愛されてこなかった人なんです。その人個人の責任とか、個人的に悪いということを言っているのではありません。だけど愛する行為のある人は、やたらにあちこちの人を愛しませんよ、恋愛という形では。人を愛する行為というのは、人を傷つけることがとても悲しいわけです。ですから不倫や浮気、或いは次々と恋愛をするなんていうことはしません。基本的には愛というのはそういうものです。

Q/子育てではどんな例があるでしょうか。

佐々木正美十分に愛されて育った人は、愛する力はあります。ところが愛されたいという欲望はそんなに大きくないのです。愛されることばかりに心を砕く人は、愛によって何かを生み出す力が弱い。現代人はそういう傾向が強いですね。フロムも詳細な分析で実証しています。相手の気持ちの中に愛を見出すというのは、愛情によってなされることです。親が子どもを愛することによって、子どもの中に愛の環境が育つ、ということです。親の欲望を子どもに向けているというのは愛ではないですから、子どもの中に愛情なんか育たない。家庭内暴力に耐えかねて、親が子どもを殺したという事件なんかも親は一生懸命育てていらしたんでしょうけれど、愛が育ってなかったんですね。

■親の自己愛で子どもを干渉していないか

Q/子どもをかわいがって育てている親が多いと思うのですが。

佐々木/私たちは子どもを愛しているつもりで実は自己愛ということがあります。親の自己愛で子どもを操作していることが。そういう時は親の欲望をカムフラージュして子どもに干渉しているわけです。親は、子どもの将来の為と思っているので愛情だと信じている。子どももひどい事をされていても、されているとは思わない。親は高い月謝を払って、この曜日はこのお稽古、この曜日は塾と、車で送り迎えもしてくれて一生懸命になっているから。でも、子どもはくたびれ果てている。お稽古がうまくいっていれば親は喜んでいる。ところがうまくいかないと失望して悲しむ。子どもは親の喜んだ顔が見たいから一生懸命やる……。その結果くたびれてしまうんですね。でも親の干渉のせいとは思っていないので原因がわからない。わかるようになった中学ぐらいで家庭内暴力という形で出てしまうんです。虐待には物理的な、ぶったり蹴ったりというのと精神的なのがありますが、物理的な場合は親に後味の悪さが残ります。ひどいことをして悪かったなと反省するし、子どもも親にひどいことをされたと思える。けれども精神的な虐待の場合は、正当な感覚を失ってしまうのでそれだけ人格の破壊も大きくなります。現代の親は自分が子どもを愛したいという感情よりも、自分が愛されたいという感情を持ちながら子どもを育てている方が多い。

■受動的な愛は本当の愛ではない

Q/本当の愛とはどんなものでしょうか。

佐々木正美受動的な愛というのは本当の愛ではないんですね。愛情を求める感情なんです。本当の愛情というのは価値を生み出す行為です。まず、私たちは退屈ということは苦痛であるということを意識する必要があります。退屈は時間と経済の余剰です。本当の文化を築き直すにはもっと貧しくなければならないのかもしれません。生活に窮するというほどではなく。生理的欲求や本能的な欲求に従って生きるのが人間です。それらが満たされていないと神経症になる。では生理的欲求、本能的な欲求がすべて満たされたらそれで健康的かというと、他の動物はそうなんですが、人間だけは違う。それだけじゃだめなんです。一生働かなくてもいいだけのお金があったとしても、なにもしないでいるなんてことはできないのが人間。生理的な欲求がどんなに満たされたって、それで自分という全人間的なものは満たされないんです。

Q/では、本当の意味で満たされるにはどのようにしたらいいでしょうか。

佐々木正美フロムは自分自身と調和して生きる、という言い方をしました。例えば、大学入試では、楽に入学できる所に入るのがいいんですね。なのに小学校三年からでは遅いとか言って塾へやる。それで小学校の終わりまたは中学校で不登校になってしまう。家庭内暴力とか拒食症になったりね。そういう相談がたくさんあります。やっとの思いで入ってもそれからがスタートなのですから、息が切れてしまうようではだめ。無理しないと入れない所を受験してはいけないんですね。十代の終わりから二十代の若者の引きこもりの相談も多いです。大学の合格がゴールじゃないんですから。楽に入らなかったらそこからの勉強ができないでしょう? ドイツなどでは誰でも入れるのですが、内容は日本より難しいので入ってから1年ぐらいでちょうどいい数に減っていきます。入るのが大変よりも入ってから大変なほうが一生懸命やりますよ。自分と調和した学校に入る。自分と調和した生き方をするとは、一つにはそういう事です。

■自分自身のもっている良さと調和して生きる

佐々木正美社会の持っている価値観、親や周りの大人の価値観ではないんですよ。子ども自身の個性や才能との調和ですから。価値観を広げることは大切なんですね。一つの価値だけで決めつけたりしてはいけない。人間が自分と調和して生きるということをもっと多角的に考えていただきたいんです。どんな方面ででも個性や才能が発揮できるはずなんです。算数ができないと人間失格みたいに思っちゃうのはおかしいでしょ。得意なものは人それぞれでいいんですよ。例えばけん玉世界一はそれだけですばらしいのに、できなくても別にいいと思うでしょ。なのに数学ができるとすごいって、できないとだめって。価値観に差別をつけてはいけないですよ。みんなすばらしいんです。持っている良さを生かしてあげたいですね。自分が自分自身でいられる時、調和していられる時に本当の喜びを感じられるんです。

Q/狭い価値観で子どもを見ると、子どもは不自由、ということなのですね。なかなか気づきにくいように思います。

佐々木正美能動的な活動の中に本当の喜びがあるのです。つまり人を愛する喜びを感じられるんです。それには、十分に愛された人が、愛することができるようになるんですね。親から十分に愛された人です。人間は孤立することが一番怖い。あらゆる不安の根源が、いろんな人から離れていくという不安です。ひとりぼっちになってしまうという不安以上の気持ちになった時に自殺するんです。人間というのは孤立を避けようとする、仲間を作ろうとする。それで自己実現をする、自分を発揮していく。自分が持って生まれたものを伸ばすことですね。能力に価値の高い低いを決めつけないことです。孤立を防ぐためにいろいろな能力が認められるのです。人を大切にできるためには、人にまず大切にされた経験がないと。まず人を大切にする実感が持てると、人からも大切にされて孤立感から抜けられます。他者との一体感。酒とお祭り、歌、踊り。世界中の民族にこういうものは必ずあるのです。一体感を得るためにね。

■人に多くを与えられる人が豊かである

Q/本当の意味での自由でないと人を大切にできない、ということですね。

佐々木正美/自分の全体性を持ったまま、卑屈にならないで、相手と交わること。相手にも同じことを保証しなければなりません。お返しを期待しないで与える、能動的な行為ですね。芸術や生産、思索するとかボランティアとか、人間の世界に価値を生む力になるんです。偏差値とか狭い価値観に縛られていては、相手を本当には愛せない。与えると与えた分だけ貧しくなると考える人は、生産的でも創造的でも自由でもなくなってしまう。犠牲を与えるから偉いというのではありません。与えるということは人間にとって最高の喜びになると言っているのです。生産的な人にとっては与えることこそ、最も高度な自己表現。自分の生命力の表現なんです。フロムは言います。「自分の素質、個性、能力、才能のままでいい。豊富に持っていることが豊かなのではなくて、多くを与える人が豊かなのです」と。人間というのを考えるのに、フロムという人はすばらしいですね。

聞き手 ゆめこびと

エーリッヒ・フロム(Erich Fromm〉1900~1980。アメリカの精神分析学者。ドイツ生まれ。新フロイト派の一人。人間主義的社会心理学を提唱した。主著「自由からの逃走」 。 「愛するということ」 

愛についてもう少し深めてみましょう。「愛するということが 私のおすすめです。