しつけを考える3

子どもの社会性をどう育てるか

【Q7】豊かな地域社会の中で子どもを育てたいと思っても、最近では誘拐などの物騒な事件も多くなっています。人に対する警戒心も教えなければならないのかと悲しくなる時もあるのですが。

佐々木正美 /

世の中には確かに怖い人もいます。でもその前に、世の中には安心できる、親しい人がたくさんいるということを教えなければならないでしょう。それを教えずに、知らない人についていったらいけないということばかり言っていたら、子どもはどうなるか。親が親しい人をたくさんもっていて、豊かなつきあいをしていることが大切でしょうね。

【Q8】親自身が問われますね。

佐々木正美 /

そうです。親が社会的な生き方をしていなければ、子どもに社会性を教えることなんてできません。例えば「親切」ということを伝えたいなら、親自身が親切じゃないと伝わらないですね。しつけは、言葉によってできるものではありません。親が地域や社会の中で人に親切にしたり、されたりする姿を見せること。身をもって社会性を教えることです。

【Q9】社会性をもたない大人が増えていることが問題ですね。マンションはオートロック、顔を見なくても会話のできるパソコン通信が流行っている現代では、わずらわしいことが嫌い、人とかかわりたくない親が多いような気がします。

佐々木正美 /

みんなマイペースで自主的、主体的。自由に生きているのです。それはある意味で過ごしやすいかもしれない。でも、大人がバラバラで好きな生き方を選択した結果、子どもは地域社会で社会性をもてずに育っている。そしていじめをはじめ、いろいろな問題が起こっています。隣近所が協力しなければ暮らしが成りたたなかった昔は、貧しくて不自由な時代でした。しかし、協力し合わなくても、わずらわしさを請け負わなくても暮らしていける今は、別の意味での不自由さが生じていると思うのです。

【Q10】経済的な豊かさは、対社会的な資質には関係ないということですね。

佐々木正美 /

そうです。個人の知識や技術において関係することはあっても、人間関係や社会的なものはお金では育ちませんね。オウムの秀才たちは、社会的な自立ができていない若者たちでした。一般社会では通用しない、ある特殊な閉鎖社会の価値観の中でしか生きられなかったのです。社会的な自立とは、人に頼ることと人から頼られることの両方をバランスよく身に付けて、初めて得られるものなのです。

しつけと叱ることの関係は・・・

【Q11】しつけというと、つい叱ることが中心になりがち。叱ってしつける場面が多いような気がします。叱らない日はないくらい、子育てには叱ることがつきもの。叱らずにしつけはできるのか、しつけと叱ることの関係とは何か、お聞きしたいと思います。

佐々木正美 /

子どもは信頼してない人から叱られると傷つきます。反対に信頼している人から叱られても納得できるのです。日頃子どもの欲求をよく満たしてあげている親は、叱るにしてもうまくいきますね。話しをよく聞いてもらっている子どもは親に信頼感をもっていますから、叱られてもプライドが傷つかない。しつけというものは、子どもの自尊心を傷つけないように、こちらの価値観を教えることですから。

【Q12】こんな叱り方はしてはいけないというのがありますか。

佐々木正美 /

他人と比較して叱るのはいけませんね。
「お兄ちゃんと比べておまえは」とか、「Aちゃんはできるのにおまえはダメだ」とか。「おまえのこういうところは悪いよ」と具体的に失敗やいたずらの内容を指摘して注意するのはかまいません。それから、一貫性のない叱り方も困ります。いつもは禁止しているのに、親の気分で見ないふりをしたり、逆に虫の居所が悪くて叱る。親はこういうことには叱るという基本的生活理念のようなものをもっ必要があります。子どもが、こういうことをすると叱られる、こういうことは叱られないという安心感をもてるように、親の考え方を折にふれて子どもに伝えておくことが大事です。

【Q13】叱る時はつい感情的になってしまって、冷静になれないのですが…。

佐々木正美 /

叱ることと注意とは違います。例えば「肘をついてご飯を食べるのはみっともないからやめなさい」と普通に言ってあげるのが注意です。注意でも感情的にものを言えば叱るように聞こえます。感情的に対処するのは下手な叱り方。普通の会話の中で、自尊心をそこなわずに意欲的に物事に取り組めるように言うのが注意のコツです。怒るより、親が悲しんでいる状態を伝える方が効果的だと思います。

【Q14】子どもが自分の思う通りにならない時ほど、叱ってしまうんですよね。

佐々木正美 /

そうですね。しつけは、子どもの欲求を十分聞いてあげることから始まります。親が望む子どもにするのでなく、子どもの望むことを聞いてあげる親になろうという気持ちになれば、同じ叱るにしても子どもの意欲や自立を育てていくことになるでしょう。