子育ての心理学9 児童期

佐々木正美

■ 勤勉性 industry

 幼児期後半の次は学童期にあたります。エリクソンの言葉でいいますと、我々の文化圏に住む子どもの場合に、公教育public educationが始まって最初の数年間に相当する時期ということです。なぜエリクソンがこんな言い方をしたかと言いますと、世界中のいろいろな種族、民族の子どもたちを調べているわけで、ジプシーの子どもとか、遊牧民族の子どもであるとかは、学校へは行かない人もいるわけですから、必ずしも小学校時代ではないわけです。我々の文化圏について言えば、これは小学生時代に相当する時期です。この時期に「勤勉性industry」というものを身につけるのです。

 勤勉ということは、どういうことなのか。エリクソンは、「社会から期待される活動を自発的に、習慣的に営むこと」だと考えています。自発的であり、習慣的でなければならない。ある日突然やって、翌日できないというのは、勤勉とは言わない。平素からコンスタントに習慣的に社会的に期待される活動に取り組めるかどうかということが、勤勉さの定義のようなものです。多くの場合、その子どもが属している文化で有用とされている知識や技能を獲得することが求められます。

 学習やさまざまの経験の中から、「自分は自分なりにやっていける力がある。努力すれば自分なりにやれるのだ」という有能感 competence を身につけることができたら、生産にかかわる場面で、その後にも自ら努力してやっていけるようになるでしょう。逆に「どうせ自分は何をやってもうまくいかない」といった無力感、劣等感を身につけてしまう危険性が、この時期にはあるといわれます。

 それでは、そういう感性を、あるいは習慣を子どもたちはどのようにして身につけていくかということです。その子どもの所属している社会や文化圏で、社会的に期待される活動を自発性を持って、習慣的にどれくらい営めるかということです。

 そういうことが十分身につくためには、「仲間と道具や知識や体験の世界を共有し合わなければならない。」と言っています。この道具の内容は、それぞれの社会文化によって異なるのです。知識の内容もそうです。道具や知識とともに体験の世界を、仲間と共有し合うことを十分しなければならない、仲間が大切なのです。

 エリクソンは、Psychology Todayという記者のインタビューに答えて、仲間と道具や知識や体験の社会を共有し合うということは、くだいて言えば「友達から何かを学ぶこと、友達に何かを教えること」だと言うのです。こういう経験をどれぐらい豊かにするかどうかということが、子どもの勤勉さを育む上で重要な要件であるとエリクソンは言っているのです。

 今日、様々な子どもたちは、大人からしか物を学んでいないところが顕著です。エリクソンは大人から物を学ぶことに価値がないとは一切言っていません。それは勿論価値のあることであります。けれども、この時期の発達課題を十分に消化していくために不可欠の要件というのは、「友達から物を学ぶことであり、友達に自分の物を分かち与える」ことなのです。こういう経験を十分しなければならなくて、内容よりも量が大切だということも言っています。どれくらい多くのことを友達から学んだか、どれくらい多くのことを友達に与えられたかということです。

 この経験を十分にしないと、人間は優越感と劣等感を体験しながら生きていくということになるように思います。能力の高い友人、クラスメートに出会ったときに、その友人を尊敬できるか、その友人に共感できるかということです。現代っ子はそういう気持ちにならない子が多いと思います。

 そして嫉妬とか、羨望とか、敵意とか、その裏返しとしての劣等感を強く意識してしまう。あるいは逆に自分のほうが何か優れているときに、健全な誇りとか、自信とかいうことではなくて、優越感を感じてしまう。

 劣等感と優越感というのは、表裏一体の感情でありまして、人間は、だれもがいろいろな意味で程度の差はあれ、そういう感情は持っているのです。それが過度に強調されて子どもの中に育ってしまうということは、ちょうどこの勤勉さを習得しなければならない小学校時代に、友達から豊かにものを学び得たか、同時に友達に多くのことを分かち与えたかということに関連することなのです。こういう経験が学童期に、とても大事であるということをエリクソンは強調していると思います。

(年齢はおおよそです) 文責 高橋健雄