佐々木正美 よい子の虚像と実像
親はだれでも自分の子どもがよい子であって欲しいと望んでいます。それでは、 よい子とはどういう子どもでしようか。普通に考えれば、親の言うことをよく聞き、面倒のかからない子どもを想像します。けれどもさまざまな立場からみますと、その年齢に相応した子どもらしさをもっている子どもこそが、 よい子であると思うのです。
たとえば、オムツを取り換えて欲しかったり、お腹はいっぱいだけれど退屈だったりすると、すぐに泣いてお母さんを呼びつけ、親にたくさん手をかけさせる赤ちゃんは順調な発達を遂げているといえます。そして、このような赤ちゃんは知恵のつくのも早いのです。反対に親の気持ちを先に読み取り、手をやかせない子どもはどうかといえば、精神衛生はけっして健康ではありませんし、自立(自律)も遅いのです。一般に、親が思っている”よい子”と、心の健全な発達を歩んでいる子どもとの間には、このような落差があるのです。
子どもの心の発達過程を踏まえながら、よい子ということについてQ&A形式で考えてみることにしました。
Q:順序として乳児期からうかがっていきます。まず、赤ちゃんのサインを読み取れる母親というのは……。
佐々木正美 A:赤ちゃんのだすサインを正確に読み取ってやれば、子どもは伸びていきます。ところが、いくら泣いても、親が気がつかなかったり、面倒くさがったりすると、子どもは泣いて訴えなくなります。忍耐強い、我慢強い子になるかというと、そうではありません。泣いたって、言ったってダメなんだ、と。お母さんに対するある種の不信感と、自分自身に対する無力感をもって、おとなしい子になっているだけです。ちっとも順調ではないんです。親に手をかけさせる子どもの方が、 よい子だと思うのです。小さいときに、親に楽をさせてくれるのがよい子だと思うのは思い違いです。
Q:母親は手のかからない子、かけさせない子がよい子と思っていますが。
佐々木正美 A:それは間違いで、親はどこかの時期で一度は手をかけなくてはならないのです。小さいときに手をかければかけるほど、早く順調に育ちます。大きくなってから手をかけなければならない状態に育ててしまうと、将来の見通しは明るくありません。情緒や精神的な発達が悪いとか、社会的能力がなかなか身につかないとかになります。一番手をかけやすくて、それがスムーズにいくのは乳児期から幼児期なんです。あとは螺旋 (らせん)状に子どもは成長していきます。ときどき親に手をかけさせて、ときどき安定して、というように。手をかけさせる時期を反抗期という人も、自己主張という人もいます。自我が急速に成長拡大するという人もいます。こういう節目、節目が何回かめぐってきます。2~3歳の頃、就学前後、思春期というようにです。これが強力であればあるほど、子どもの成長は順調です。大きく飛躍できます。反抗期が順調にこないと、むしろ心配です。あの子はいい子ぶっている、いい子にさせられてしまっているということになります。
周囲の期待に過剰適応するのは本当の”よい子”ではない |
手のかからない、聞きわけのいい子を「よい子」とすれば、自分の欲求を抑えて周囲の期待に過敏になっていて、周囲の期待に対して過剰に適応しようとしている子どもを「 よい子」だということができます。もちろん、本当の意味での良い子ではありませんが…。 このへんの育て方は微妙な点があるでしょうが、親はどういうことは許せて、どういうことは許せないかという”しつけ”問題になってきます。そして、その際はできるだけ許容範囲を広げてあげて、自分でものごとを考えさせ、自分で決断し、実際に体験させるような育て方が大切だと思います。妙な言い方ですが、取りかえしのつかない失敗は、親として避けさせなければなりませんが、取りかえしのつく失敗はうんとさせてあげた方がいいでしょう。取りかえしのきく失敗を、たくさん認めてやることは、自主性を身につけることになります。
たとえばトイレット・トレーニングでも、親が計画的に早く順調に済ませてしまった子どもは、自分で判断する力が弱いといわれます。子どもにとってオシッコ、ウンチは捨てたくない身体の一部なんです。子どもは自分の身体の一部、ましてきたない不潔なものとは思っていません。ある種の捨てがたい、いとおしさをもっているんですね。ところが、オシッコやウンチをしたあとの、清々しい何ともいえない快感も身につけていきます。捨てるべきか、捨てざるべきか。まるでハムレットのような思いをします。そのとき、親が有無もいわせずトイレに座らせてしまうのは、子どもの自立(自律)の芽をつみとってしまうことになります。 トイレット・トレーニングは、ゆっくりとするのがいいですね。3~4か月遅れようが、ちっともかまいません。トイレット・トレーニングをやかましくやられた子は機械的完全癖、想像性のない強迫神経症になる恐れもあるほどです。逆にゆっくりやった子は、セルフ・コントロールのしっかりした人に育ちます。
“おねしょ”をしても、やかましく言わなければ自然となおる |
Q:それでは、おもらし、おねしょは気にしないでいいですか…。
佐々木正美 A:まったく気にしなくていいですね。「ママ、失敗しちゃった」と安心して親のところにやってくる。パンツを取り換え、そして何もなかったように知らん顔してあげる。こうした育児態度が、自分で自分を律する子に育っていくのです。
オシッコやウンチを捨てたくない感情と、捨てたあとの何ともいえない快感を味わい、どちらをとるかという二者択一の経験をする。子ども自身の判断で、ゆっくり経験する。こうした方が、自分で考える力が身につき、将来、人生のいろんな岐路や壁にぶつかったときに、安心して自分の判断で自信のある行動を選べるようになるわけです。ですから、小さいときから聞きわけがいい、というのは少しもいいことではありません。
親に対して聞きわけがなくても、外では聞きわけがあるというのがいいんです。家庭のなかでは聞きわけのない子でかまいません。家庭で言いたい放題言っている子は、外ではそうでもないんです。親の前でよい子で、外でいじわるしたりする子はいけません。親の顔色をうかがったり、安心して振る舞っていないからです。
不登校、家庭内暴力、思春期や青年期に自殺未遂の相談を受けますが、大多数の親はよい子であったといいます。「親の言うことをよく聞いてくれた」と。自分の言いたいこと、やりたいことを後回しにして、親の意見にばかり従っている。つまり他人行儀で、親子の関係ではないんですよ。
Q:親はよい子に育てたいと願っていますが。
佐々木正美 A:親の価値観をしっかりと持つことが大切ですね。タブーとされるものを作っておくといいですね。盗みや弱い者いじめはいけないとか。それも基本的なことだけを決めておけばいいと思います。子どもの行動や言動の一部始終を監視するような、細かいことは決めない方が、子どもはのびのびと育ちます。
Q:昔は親に口答えをしてはいけない、と育てられました。
佐々木正美 A:昔は、とくに父親は怖い存在で、いわゆる”頑固親父”でした。だから、反抗や口答えはできませんでしたが、その分、仲間や友だちのなかで自由にものが言える状況があったし、また母親がしっかりと受けとめる育て方をしていました。「お父さんには黙っててあげるよ」と子どもの味方をしてくれました。いまは父親も母親も中途半端になってしまいました。父親と母親の役割分担がないのです。
不登校の子どもは小さいとき”よい子”の場合が多い |
Q:よい子すぎる子の姿は…。
佐々木正美 A:よい子すぎるというのは、自分というものを失っている子のことです。人間には、できることなら自分の主張ばかりしていたいという欲求があります。もちろん子どもにもあります。ところが、 よい子すぎる子どもは周りの期待にばかり答えようとする。よい子であることが、悪いというわけではありませんが、自分の欲求や人格を抑え、その結果、自分というものがなくなってしまう。これが、大変いけない。自分で判断する力が弱くなってしまうんですね。
たとえばサラリーマンで課長や支店長に昇進するとダメになってしまう人がいます。指示されたことは完壁にやるから”できる奴だ”と思い抜擢すると、自分で判断できず出社が苦痛になってしまう。
不登校の子どもも同様ですね。自分の考えで自分の気持ちを言うことができない。コミュニケーションがうまくいかないわけです。だから、休み時間が苦痛で、授業時間とか試験中の方が楽なんです。指示されたことだけをやっていれば済むわけですから。よい子すぎる子の典型的なのは、親の言うことをよく聞いて、手のかからない子です。ところが、制約のないところではセルフ・コントロールが上手にできない、自主性が育っていない、自分というものがない。コミュニケーションがうまくできないわけです。集団のなかでストレスやプレッシャーを感じながら、ダイナミックな人間関係を経験することがどんなに大切かということです。
学校へいくのがつらいと感じたとき、低学年だと親の言うことを聞いていますが、高学年になって親から「しっかりしなさい。だらしがない」と言われたりすると、「ワァー」とパニックを起こし親に向かってくる。「あんた」という言い方を親にするようになります。「あんたに、こうされたんだ!」。これは、早い時期によい子だった子の一番不幸な姿ですね。
反抗期は飛躍のためのジャンプ台! 余裕をもって見守ろう |
Q:逆に、よい子すぎる子の親のパターンはどうでしょうか。
佐々木正美 A:不安が強い、神経質、自律性が弱い親が多いですね。子どもは親の意見に従わないと不安を感じ、親の言うとおりにしていると安心感を覚えるようになります。学校に入ると、算数の公式を記憶したり、○×式はできるけれど、応用問題は苦手だったりします。
いま、なぜ父親が協力しないと育児ができないかというと、母親が孤立無援であるからです。昔も仕事や戦争で父親不在の家庭はありました。ただ、母親が社会性を身につけていました。近隣とも上手につきあえたし、兄弟姉妹も多かったから人間関係のトレーニングが自然とできていました。人間は孤独でいるのが一番悪い。精神衛生は最悪です。たった一人でいるというのは潜在的に強い不安な状態です。夫が協力しなくても孤独でない母親は大丈夫ですが…。
とにかく、いまの時代は子どもの個性にあわせて、あわてずにゆったりとした子育てが大切です。子どもが反抗したり、親の言うことに反発したりしたら、それが可愛いと感じられたら最高です。「この前の反抗から今度の反抗まで、わりと間があったな」と余裕があれば大変に頼もしい理想的な親でしょう。反抗期になると「やってる、やってる。きたな」と感じる。釣り糸にピタッと”ひき”がきたようなものですね。反抗は親を信頼しているからできるんです。反抗期は大歓迎であると声を大にしていいたいですね。
親の言いなりに育った子どもは独創性や想像力が乏しい |
Q:母親の言いなりに育った子の成人後の姿はいかがでしょうか。
佐々木正美 A:独創性や想像力がないことですね。自分のアイデアで何かできない。協調性がなくかん黙になる。またリーダーシップはまったく発揮できません。最大の取柄は、指示されたことを指示されたとおりにすること。指示された範囲内でするということでしょうか。
Q:園や学校の先生が、よい子すぎる子を求めているとしたらどうでしょうか。
佐々木正美 A:そんなときは、まず親が子どもを認めてあげ、休み時間や放課後は友だちと充分に遊んで、コミュニケーション(共感)するといいと思います。先生に我慢した分だけ、家や仲間たちに発散させることが必要です。先生もクラスの運営上、子どものなかの多様性を容認できない場合もあります。もっとも、子どもに自律心ができていれば、「この先生はこうしないとヤバイな」というように対応できますが…。
それから先生も子どもの正常な反抗や自己主張を認める必要があります。たしかに、大人の判断の方が正しいんですが、子どもが失敗をする前にやめさせてしまうことがしばしばあります。これは、子どもを育てる道筋からすれば正しいとはいえませんね。
Q:適切な言葉ではありませんが、”悪い子すぎる子”については。
佐々木正美 A:幼児期は、むしろ悪い子ほどいいと思います。子どもは、親や大人によく思われたいという感情をもっていますから、悪い子になっても悪い子すぎる子にはなりません。最悪なのは親の期待を先取りする子、いわゆる過剰適応してしまう子どもです。先回りして、相手はこう思うだろうなと思ってする。幼児期では一見、聡明にみえますが、成長すると創造性のない子どもになってしまいます。
幼児期に親に甘え、手こずらせる子どもは”いじめ”に走らない
Q:子どもは、とにかく悪戯(いたずら)が絶えませんし、小さい子や弱い子をいじめたりしますね…。
佐々木正美 A:いわゆる親を泣かせたり、手こずらせる子は、いじめはしません。親に反抗できない心が、いじめにつながるようになります。幼児期は親を”あご”で使うというか、自分の思いとおりに親を使う生活がなくてはダメなんです。そういう経験をたっぷりした子は、弱い者いじめはしません。そのかわり、大人にはくってかかる子になります。大人にくってかかって、自分の思いどおりにできる子は小さな子や弱い者をいじめても、つまらないと感じています。対等の仲間となら面白いでしょうが…。
取りかえしのつかない失敗はやめさせますが、悪戯などを繰り返し、失敗をたくさん経験するのは、育つ過程で必要なことですね。