感情を抑制する力を育てる

佐々木正美

 十分に甘えてきた子ほど「我慢する心」が育っている

 子どもの心に基本的信頼感が育っていないと、次の段階、つまり幼児期のしつけの中で確立していく自律心--自分で物事を決めていく力--や、自分の感情や衝動を抑制する力を子どもの心に育てるのが、より困難になります。
 首が据わらなければ寝返りが打てないように、基本的信頼感が育たなければ、子どもは自信を持って自律的な行動をとることはできません。だから、しつけようとしてもしつけられない、というようなことが起きるのです。

 親に「ありのまま」の自分を信じてもらうことで、自信を持っていく--それが子どもがその先、自律性、社会性を身につけていく時の原動力、基盤になるのです。
 建物でたとえると、こうした信頼感や安心感は基礎工事にあたります。土台のコンクリート打ちです。土台が不安定で生乾きのうちに柱を立てよう、床を張ろうとしても無理なのです。
 ところが、そうした無理を親は子育ての中でしばしばしてしまうのです。また、基本的信頼感は、実は親以外の人を次々に信じていく力になり、友達を作る原動力にもなっていくのです。
 さらに、基本的信頼感が育っている子どもは、自分の過ちを叱る人をも信じられます。それが「しつけやすいかどうか」の決定的な分かれ目にもなるわけです。

 基本的信頼感が育っていない子どもは、自分が過ちを犯したにも関わらず、それを叱った人を逆恨みしたり、拒否したりしてしまいます。
 そして、そうすることが実は自分自身を否定することになるので、ささいなことで自暴自棄になったり落ち込んだりしてしまう子になるのです。極端なケースでは、自傷行動、自殺未遂をすることもあります。
 このような現代の若者の姿を見ていると、「人を信じる力」と「自分を信じる力」というものがセットになっていることがよくわかります。わが子の将来を左右することになるのですから、「人を信じる力」を育てることは、まさに子育ての中核とも言えるのです。

何があっても”たくましく対応できる子

 基本的信頼感が育っている子どもは、過ちを犯した時に人から注意されたり叱られたりしても、ひどく傷つかずにすみます。つまり劣等感を大きくしないですむということです。また、相手の善意を感じられるので、相手を逆恨みしないですみます。人を信じる力、自分を信じる力とは、そういうところにも出てくるのです。

 初対面の人に出会うと、誰しもある種の警戒心を抱きますが、同時に親しみや、やすらぎも感じるものです。その時「警戒や不安」より「やすらぎや信頼感」のほうが大きい子どもは、友達に会おうが、学校へ入ろうが、転校しようが、担任が替わろうが、どんなことがあろうと、たくましく対応できます。
 また、祖父母とよく遊んで育った子どもは、基本的信頼感が育っていることが多いと思います。
 近所づきあいや親戚づきあいが多かった時代には、親同士が親しかったお向かいのおじさん、おばさんが子どもに基本的信頼感を呼び覚ましてくれるような対応をしてくれました。
 そういった蓄積が現代っ子にないのは残念なことです。加えて、親自身も基本的信頼感が弱くなっている世代になりつつあります。ですから、近所の人に対してある種の気兼ねや警戒心、不安、わずらわしさがあって、深入りをしません。
 基本的信頼感が弱くなった現代の子育て環境は、基礎工事に手抜きのある不完全なもろ建物のようなもろさを感じます。

”手抜きの子育て”は後でツケがくる


 子どもの感情を満足させ、安定させるには、「親の期待するような子ども」を望むのではなく、親自身が「子どもが期待する親」になることです。別の言い方をすると、「子どもを自分の思い通りにさせること」に喜びを感じるのではなく、日頃から子どもが喜ぶ親でいてあげたいという心がけで育児をすることです。

 わが家では、「親が生きているうちに親を喜ばせようなどとしないほうがいい」と教えています。もちろん、親としては喜ばせてほしいのですが、それは子どもには言いません。だからといって子どもは勝手気ままにやりたい放題をするかというと、反対です。
 もちろん、子どもに期待してしまう感情をゼロにはできませんが、特に赤ちゃんの時や子どもがよちよち歩きの時にはできるだけ子どもと向き合って、話を聞いてあげることです。相手の言いたいことを「聞き届けて」あげることです。

 特に「親にしかできないこと」「他人では替わってやれないこと」は聞き届けてあげてください。
 「抱っこ」と言えば抱っこを、「おんぶ」と言えばおんぶを、「もう少し水遊びをしていたい」と言えば、やらせてあげる、「ハンバーグが食べたい」と言えば、作ってあげる。
 こういう類のことを100%は無理でも、できるだけ聞いてあげてほしいのです。

 そのようにして基本的信頼感がしっかりできれば、子どもは健全な自我や社会性を身につけていきます。先ほど、信頼感を「建物の土台」にたとえました。建物の基礎工事をする時には、採算に見合った工事をしますから、親にも同じように自分の「採算」のようなものがあるでしょう。しかし、その中で可能な限り手抜きをしない、しようとしない姿勢が大切です。

 100%完璧な育児を目指す必要はありません。いつも不足を残したままの親子関係が普通なのです。完璧、完全ではなく、「できる限り」でいいのです。
 実際に、100%の愛情を全てかけてあげられる親などいません。一生懸命に努力しても、100%子どもが望む親になることなど不可能です。
 しかし、どうしたら不十分さを小さくできるかを絶えず考えることは大切です。乳児期にうまくできなかったら幼児期に、幼児期の前半に不十分だったら幼児期の後半まで引き続きやる。
 そうした心がけは持ち続けていただきたいと思います。

Mind子ども相談から

普段の生活では基本的信頼感はほとんど意識することはありません。空気のようなものと言ってもいいかもしれません。高山の薄い空気中で活動すると息切れして苦しくなるように、基本的信頼感が薄いと子ども達は心理的に苦しくなります。子ども達が様々な問題を起こすようになってはじめて、基本的信頼感に課題があることが意識されるようになるのです。

子ども相談で様々な悩みをお聴きしていますと、対人関係の不安があることが珍しくありません。人を信じることへの不安があるのです。自殺願望やリストカットなどの自傷行為、虚言癖の子やひきこもりなどの子です。また共感性がなく酷く自己中心的な保護者がいます。相談では基本的信頼感の重要性を常々感じています。