佐々木正美
聞き手 杉浦正明(子育て協会所長)
杉浦:いまの子どもはお稽古事や勉強がたくさんあり、忙しくて大変です。親もイライラしていますね。
佐々木正美: 大人の生活も会議や残業、それにレジャーも豊富にあり、時間との競争のような状況があります。しかし、子どもは何といっても一日が楽しいかどうかがすべてです。つまり学校へ行ったらA君たちと休み時間にドッチボールをしよう、スイミングの帰りにB君と公園で野球しよう、幼稚園へ行ったら先生とこんな面白い遊びをしよう、とイメージできるかどうかです。
朝、起きたときに楽しい充実した一日をイメージできると、目覚めがいいし、早くしなさいと言われなくてもテキパキできます。たとえは、動物園や遊園地へ行く日は、黙っていても自分で準備ができていたりします。
ところが、そうしたイメージのできない子は寝起きが悪く仕度も遅い。しかし、どんな子どもにも楽しくないことや面白くないことは必ずありますから、親があまりに「早くしなさい」と言って責めると、かえって萎縮してしまうのです。“のろい”のは、その子の生活が楽しくないからグズグズしているわけで、生活の中身について親は考えるべきです。
◆朝は気分よく学校や幼稚園へ送りたしてあげること
杉浦:のろいから怒り、怒るから萎縮するということになりますね。
佐々木正美: 悪循環です。ですから、昼間の生活をいかに楽しくしてあげるかが大事なのです。勉強が遅れているから楽しくないというのは別ですが、普通は友だちと楽しく過ごせば学校や幼稚園は快適な場所ですから、動作は早くなります。ノロノロと朝食を食べているなんてことはありません。ご飯を、それこそ口にかき込んで、すっ飛んで学校や幼稚園へ行きます。友だちと共感的に触れあうことがどんなに子どもの心にとって大事なことか。
ところが現代は、この点を抜きにして、何か問題が出てくると家庭内だけで処理し、親子で格闘しているのが現状です。それはともかく、朝、お母さんに叱られて学校や幼稚園へ行くというのは非常に不幸な状態です。極端に言えば、うつむきかげんに登校する。友だちと出会ったら、元気に「おはよう」と言える状態が好ましい。自分の望みを親に十分にしてもらって、はずみをつけて送り出してもらえる子どもは幸せです。こうした状態で一日を楽しく過ごせば、日常生活も楽しくなりますから、テキパキと自分のことができるように、やがてなってきますね。
杉浦: 早くしなさい、と言わなくても、できるようになる。
佐々木正美: けれども、やはり親は「早くしなさい」と言いますね。子どもはとにかく興味のあるものに心が動きますし、朝から面白いテレビ番組が放映されていますから、そちらに目が向いてしまいます。それは子どもにとって自然なことです。それを、いちいち注意され、叱られたんでは気持ちが沈み、いわゆるネクラな子になってしまうわけですから、友だちと交わる力が弱くなる。結果として友だちと楽しく遊ぶ機会が減り、楽しくなければ夜更かしするようになり、物事をテキパキ処理する能力が育たなくなってしまうのです。幼児期から小学校低学年までの子どもで、夜更かしする子どもは、昼間の生活はネクラですね。
◆小さい頃はどんなに手伝ってあげても依頼心は芽生えない
杉浦: お母さんは「宵(よい)っぱりで困ります」と言いますが、裏に隠されている昼間の生活にまで思いがおよばない。
佐々木: 宵っぱりということは昼間の生活が充実していない、というのと同義語です。
中学や高校になれば勉強やクラブ活動で多少夜も長くなりますが、小学生で夜更かしならば昼間の精神保健が悪いわけですから、子どもの昼間の生活について考える必要があります。それには、まず親が子どもにうんと手をかけてやることが良策です。たくさん手伝ったり苦手なことを手伝ってあげると、子どもに依頼心が芽生えてしまうと思っているようですが、これは間違いです。
幼児期から小学校の低学年までは、朝の仕度にしろ宿題にしろ、どんなに手伝っても構いません。手伝ってあげた子の方がよくできます。ところが一般に親は、手伝うのが面倒くさいものですから、つい大きな声で「早くしなさい」と怒鳴ってしまいます。
杉浦: 親は勘違いをしていると。
佐々木: 勉強を例にするのは適切ではないかもしれませんが、宿題を親がよくみてあげている子の方が、勉強はできますね。そばにいて、みてあげる。どこが理解できていないか、親はチェックできる。子どもの方も、よく理解をして翌日学校へ行きますから、勉強も楽しくなります。
◆しつけは「口によるべからず、態度によらしむべし」
杉浦: 宿題も面倒をみた方がいい。
佐々木: 手伝うという意味は、子どもは遊ばせておいて、親がかわりにやってしまうというのではありません。身仕度でも後片づけでも勉強でも、子どもが分かるように具体的に段取りを教えることです。そうすると、子どもはよく理解でき、テキパキとできるようになります。福沢諭吉は「しつけは口でやってはいけない、態度でやれ」という箴言(しんげん)を残しています。“口によるべからず、態度によらしむべし”と。
杉浦: 朝になると子どもたちは「学校にこれ持っていく、あれが必要だ」などと言いだしますね。
佐々木: どこの家庭でも経験することです。そして、まず親自身が反省しなければなりません。前の晩に親が忘れるのですから、子どもが忘れるのは当然でしょう。自分のことを棚にあげて、子どもを叱る。これは駄目です。何度も繰り返すようでしたら、前の晩に親が言ってあげるのがよいでしょうね。それも口だけで言うのではなく、子どもと一緒になって態度で示し、その習慣が身につくまでつき合ってあげることです。
寝る前に「用意できたか」とかけ声だけでは効果はありません。「こうすると早くできるよ」「こういう手順だと上手にできるよ」「これはテレビを見ながらでは無理だよ」。文字通り、手とり足とりで具体的に教えてあげる。もちろん宿題も、親がちゃんと目を通し、できているかみてあげる。宿題をみてやって、駄目になった子どもはいません。けれども、手伝わなくて駄目になった子どもはたくさんいますよ。
杉浦: それでも親は宿題や勉強を手伝うと、依頼心の強い子になってしまう、というぬぐいがたい観念をもちます。
佐々木正美: まったく逆です。手伝ってあげないから、勉強がつまらなくなってしまい、ひいては劣等感の強い子になってしまうわけです。
◆「早くしなさいっ!」はダメ、「早くしましょう」がいい
杉浦: 親は、一人で何でもする子がよい子だと思いますね。
佐々木正美: 家のなかで一人でゴロゴロしているのは遊びとは言いませんし、共感性も育ちません。小さいうちは、反対に何でも親に手伝ってもらい身につけていくのがいいのです。ときどき教科書や宿題を持って「ここ教えて」と親のところへ来る子がいますが、できる子はそれで十分ですし、分からないことがあったら、いつでもお母さんやお父さんのところへ持っていらっしゃいという雰囲気を家庭のなかにつくっておくことは大変に大事なことです。平均的な子には、そばについていてあげるのがいいことです。勉強だけに限りません。いつでも親が面倒みたり手伝ってあげるという姿勢があると、子どもの精神生活は大変安定しています。
口でいくら言っても逆効果になるばかりで、「何度言ったら分かるの」とか「なんてグズなの」といちいち口うるさく言うのは傷つけるだけです。なかには「あなたはいったい誰に似たんでしょう」なんて言う親も見かけます。しかし苦言を呈するようで恐縮ですが、子どもは親にしか似ないものです。それも、口うるさい親の方に・・・。やはり不言実行が最高です。手をかければかけたほど子どもはのびのびとして、自主性のある子どもに成長します。
◆現代っ子の最大の問題は“コミュニケーション障害”
杉浦:“手塩にかける”という言葉がありますね。
佐々木正美: 盆栽や漬物に使われていますが、子育てにこそ当てはまる言葉です。手塩にかければ自立も早くなります。一般に、育児の下手な親は、新生児期や乳幼児期において子どもの欲求にあまり答えてあげず、成長して大きくなってからあれこれ口を出し過ぎて問題を起こしてしまっている。
杉浦: とにかく、かけ声だけではなくて、一緒にしてあげることが大切なんですね。
佐々木正美: そのとおりです。子どもにたくさん手をかけてあげて、一日の生活を楽しくしてあげることです。よく、「早く寝なさい」と私たちは注意しますが、昼間が充実していれは注意しなくても寝てしまうものです。これは大人も同様で、昼間が充実していないと夜更かしになります。会社の仕事が面白くない人ほど、人と衝突したり、帰宅途中でお酒を飲んでウサを晴らしたりします。何かで気晴らしをしないと心の安定が維持できないからです。
不登校で夜更かしをしない子どもはいません。極端な場合は昼夜逆転さえしています。自分の欲求が多く満たされずに養育された子は、思春期になって親に大変手をかけさせる結果になります。幼児期の不足を思春期、青年期にとり返そうとして、屈折した奇妙な手段で親に補ってもらおうとするのです。また、親にかまってもらえなかった子は、周囲を信頼する能力が身についていませんから、仲間や友だちと共感的なコミュニケーンヨンができません。現代っ子の問題は、つまるところ友だちとよく遊べない子、よいコミュニケーションができない子の問題につきると思います。そして、それは私たち親や大人も同じような状況にあり、人間関係が悪くなっています。人間は孤立すればするほど精神保健が悪く、口うるさくなってきます。現代っ子は、あれもこれもすべて駄目になったのではなくて、つきつめればコミュニケーションの障害の問題だと思います。子どもは成長途上にありますから、問題が大人よりもはるかに顕著に強く表出されるわけです。
◆家庭内暴力、自殺・・・ 大半の責任は親の側に
杉浦: 子どもは大人の姿をそのまま写しだしている鏡なのですね。
佐々木正美: 面白いと言ったら不謹慎でしょうが、「こんなグズな子は誰に似たんだ」というのは実に奇妙な表現ですね。親、つまり自分に似ているということですから。
そうして、このような親に育てられた子どもたちが、思春期や青年期に重症な情緒障害となって今度は親に復讐を開始する。“グズ”“まぬけ’と親を罵り、口だけですまなくなると暴力まで振るうケースが出てくる。こうなったのは、社会の仕組みにも問題はあるでしょうが、責任の大半は親にあると私は思います。小学生が自殺などするとマスコミはすぐに学校教育をやり玉にあげます。しかし、非常に厳しい言い方になりますが、私は80%以上は親の責任ではないかと思っています。
現代は、コミュニケーンョン障害という大きな問題が、非社会的ないし反社会的な形態をとりながら、多様な症状を呈している時代と言えます。暗くなるまで外で遊んでいるのが当たり前の時代には、勉強のできる子は少なかったかもしれませんがコミュニケーション障害の子はいませんでした。私の専門の児童精神科などという科は日本中どこを探してもありませんでした。必要としなかったのですね。
◆隣近所のお母さん同士で大いに井戸端会議をしよう
保育園や幼稚園を地域社会に開放して、お母さんたちの井戸端会議の場として提供しようという考えが進んでいます。昔は、井戸端会議は女性の悪い癖のように言われていました。しかし隣近所の奥さんやお母さんとペチャクチャおしゃべりすることは決して悪いことではなくて、むしろ人間の精神保健にはとてもよいことです。一人で考えたり悩んだりしないで、仲間とのおしゃべりのなかで解消されてしまうわけですから、精神保健だけでなく人間関係もよくなります。ですから、まず大人同士、親同士がたくさんコミュニケーンヨンをしてほしいと思います。
コミュニケーション(子育て協会発行)№26より