思春期の自立にむけて

佐々木正美


■子どもは依存と反抗を繰り返して自立する
他人に甘えられる、依存できることが自立につながる

●あなたは他人に安心して頼れますか? 頼られますか?

 思春期は親の保護のもとから巣立っていく、自立の準備をする時期です。この章では子どもの自立について考えてみたいと思います。そもそも、自立とは、どういうことをいうのだと思いますか。

 自分一人で生きていけることだと思いますか。たしかに、国語辞典には「ほかの援助や支配を受けず自分の力で身を立てること」とあります。

 けれど、もしそんなふうに思っている方がいらっしゃったら、少し立ち止まってみていただきたいと思います。

 親も子どもも、自立ということを間違って解釈しているのではないでしょうか。親が子どもに求める自立は、「一人で立って生きなさいよ」という厳しいものです。子どもは子どもで、そういうふうに求められたら自分一人で生きていかなきゃいけない、それが自立だと思っているようです。しかし、本当の意味での自立とは、他者と安心して依存しあえることです。つまり、相互依存できるかどうかによって自立は決まってくるのです。

 依存というのは、

「自分が望んだことを望んだとおりに受けとめてもらう」体験のことです。

「安心して甘えられること」といいかえてもいいでしょう。

 人は他人に受けとめてもらえているかどうかを確認し、受けとめてもらっていると思える人には安心して依存することができます。そして、他人に安心して依存できる人は、自分もだれかから依存される、信頼される人間になりたいと思います。これが相互依存です。

 逆にいえば、他人に安心して依存することができない子どもはなかなか自立することができません。

 あなた自身はいかがでしょう。だれかに依存できますか。心から信じられる人が何人いますか。反対に、あなたを頼りにする人は何人いますか。

 「ありがとうございました」

「いいえ、どういたしまして。お互いさまでしょ」

 こういう気持ちをもちあって日々を生きていけることが真の自立なのです。

 ところが、最近は、たとえば家族で旅行に出かけている間に届いた荷物をお隣に預かってもらう。ちょっとしたお願いですが、こういうことさえも気軽に頼み、頼まれることがむずかしくなっているのではないでしょうか。

 人の善意を心から信用できなかったり、また自分が他人に善意を提供することを快く思っていない人が多いためだからかもしれません。「こんなことをしたら、迷惑がられるんじゃないか」とか「あの人のために何かをしても一銭の徳にもならないからやめておこう」などと考えてしまうようです。

 だれにも心を許さず、自分も他人から必要とされないなんて、なんてさみしい生き方でしょう。

 できることならば、日常の小さなことくらい、お互いに頼み、頼まれるのがいいのですね。

 本来、人間というものは、人に「ありがとうございました」と感謝できるのは最高の喜びです。また、「どういたしまして」というのは、さらに大きな喜びなのではないでしょうか。こうした喜びを、私たちはもっとわかちあえる関係をつくっていくことが大切です。

  そのためには、

  まず、自分自身が周囲に対して心を開くことです。

  人の善意を信じ、自分も他人から信じられる人間になることです。

 今、子どもを育てている人にとって、このことはとても大切な姿勢です。

 人間は、相互依存のなかで生きているということを、子どもは親の姿を見て、学び取っていきます。また、親が人を信じられなければ、子どももまた人に心を許せないまま育ってしまいます。親子関係とはそういうものなのです。

 わが子が本当の自立、相互依存のできる人間に成長するためにも、まずはあなた自身が、人との関係のなかでくつろげるような感性を育てていただきたいと思います。

 人間関係がどんどん希薄になっているなか、人によってそれはとても苦痛なことかもしれません。

 でも、私たちは、どうしたら人といっしょにくつろげるかということを、多少わずらわしく思っていても努力するべきではないでしょうか。

 ふだんはまったく会話のないご近所の人にあいさつをしてみるとか、自分の子と同世代の子どものいる家族や親戚を誘ってどこかに出かけてみるとか、そういう親しみの関係をつくっていきたいと思うのです。

親が人との関係のなかでくつろげると、子どもも自然と上手に人間関係を築けるようになります。

区切りの絵

■子どもが与えてくれる喜びを忘れていませんか?

●この子がいて幸せと思えることの大切さ

 私は、ある意味、人間はだれもが正しい依存症だと考えています。そして、相互依存のできる人こそが健全な人だと思っています。

 人間はみんな相互依存によって生きているわけで、健全な相互依存をしている人を「依存症」とはいいません。よい依存をしているときには、私たちはそれを病的と見ませんから、問題視することもなく、またする必要もありません。

 夫婦の例で考えてみてください。よい相互依存ができているカップルほど、よい夫婦ですね。親子でもそうです。子どもはいつも親に依存している、というのは間違いで、親も子どもに依存しているのです。そのところを、親は見逃しがちです。

 エリクソンは、「よい人間関係というのはだれとだれの関係であっても、与えているものと与えられているものとが相互で等しい価値を認識しあっている」といっています。また、「そうした人間関係が最高だ」、ともいっています。

 人間はみな依存しあって生きている、という前提を忘れてはいけません。

 相互依存を抜きにしたら、人は孤立してしまいます。それでは健康に生きられません。健康な依存は、人と人との関係で成り立つものです。

 幼い子どもの場合は、一見一方的に大人に依存しているように見えます。でも、本来子どもは、その存在だけで大人を喜ばせる力があります。そして、自分が喜ばせている大人に、自分自身も喜んでいる、それが子どもと大人の自然な依存関係です。

 よく「この子は私がいなければ育たない」などという親がいますが、そうではなくて、 「この子がいなければ、私は生きがいをもって生きられない」という気持ちを自分で認識することが大切で、そのように思っていれば、子どもは健全に育つのですね。

 これは、思春期の子どもたちにもいえることです。中学生や高校生のお子さんは、むずかしい年ごろですが、

 お父さんお母さんが

 「この子といられて幸せ」

 「この子を育てることが私の生きがい」

 そんなふうに思いながら接していると、

 子どももやはり

 「お母さんといっしょでうれしいな」

 「お父さんがいてくれて幸せだな」

 と幸福を感じることができるのです。

 私には三人の息子がいます。子どもたちがまだ小さかったとき、私たち家族は私の両親と同居していました。祖父母は、子どもたちに対して、

「君たちは、よくわが家に生まれてきてくれたね」と、しばしばいっていたようです。家内からよく聞いた話です。

 生まれてきてくれたことそのものが、祖父母に幸福を与えていたわけです。孫に依存して生きていることを、自然に祖父母はわかっていたのでしょう。孫をかわいがることが、依存していることなのです。

 祖父母たちはそれぞれの時代の生き方として、自分だけでなく家庭内外の周囲の人たちのことも考えながら生きる生き方を、今よりずっとゆたかに身につけていました。

ですから、祖父母たちは孫といっしょに過ごしていること自体を喜びに感じていたと思います。幼い孫のために、何かをしてやること、そのこと自体が大きな喜びだったのです。自分たちのもとに生まれてきてくれたことを、そのまま感謝して、喜んでいてくれたのです。それが子どもたちの発達や成長に、どれだけゆたかな贈り物になったかは、簡単に表現できないほどです。

自立とは、一人で生きていくことではありません。人を信じて、人から信じられながら生きること。相互依存することができることを自立というのです。

 わが子をまること肯定して、守ってあげられるのは、あなたしかできないことです。子育て以上に価値ある仕事はありません。がんばっているお父さんお母さんに私は大きな拍手を送ります。

佐々木正美著「抱きしめよう、わが子のぜんぶ-思春期に向けて、いちばん大切なこと」大和出版2006年より