子育てで最も大切なこと

佐々木正美

私は、児童精神科医として、今までにたくさんの子ども達やお母さん、そしてお父さんに会ってきました。その経験から、一番言えること。それは子育てで大切なことは、何よりも子どもの心に「人を信じる力」「自分を信じる力」を育ててあげることだと思います。
これを、自我の発達やアイデンティティの問題を研究したアメリカの著名な精神分析家、E.H.エリクソンは「基本的信頼感」(ベーシック・トラスト)と名づけ、この言葉が広まりました。
子どもは、自分の「ありのまま」を全面的に受け入れてもらうことで、その相手を信じられるようになります。そして信頼されているという実感と経験があるからこそ、自分を信じる力も育っていくのです。

子どもが健全に育っていくには、まずこの基本的信頼感が「心の土台」として育っていなくてはなりません。

私は「そのままでいいがな」という言葉が好きです。
書家で詩人の相田みつをさんの言葉ですが、親が子どもに基本的信頼感を確立させてあげるための心がまえを言い表わしていると感じます。
「そのままでいい」とは、子どもへの最高の愛情表現であり、無条件の承認です。「それはこうしなくちゃね、こうできるといいね」と子どもに言いながら、「それでも、そうしなくても、できなくてもいいよ」と受け入れてあげるのです。
こんな豊かな愛情が与えられれば、子どもは必ず生まれ持った資質を豊かに開花させることができるはずです。
「そのままでいい」というのは、拒否や束縛につながる「こうならなくてはいけません」とは、大きく違うのです。

「こうなってほしい」と子どもに要求するのではなく、あるがままの子どもを受け入れてください。特に乳児期から幼児期のごく早期までは、子どもの言うことをそのまま聞いてあげるといいのです。

子どもは小さい時ほど、あれこれ親に要求しているように見えても、決して無理難題は言っていません。
「おんぶをして」とか「一緒に寝て」と言うのは「ぼくのことを好きでしょ」と確認したいのです。ですから、そうしたお願いを聞いてあげることで子どもを安心させてあげてください。小さい時ほど、何でも言うことを聞いてやってほしいのです。

児童学研究の権威である平井信義先生は、著書の中で「しつけ無用論」を提唱していらっしゃいますが、あれは「子どもの言うことをそのまま聞いてあげるといいんだ」という表現の裏返しだと思います。

子どものありのままを受け入れて育てていれば、自然の摂理に従って、子どもはきちんと自立していくと確信しているのだと思います。

私も同じように考えています。子どもの要求を可能な限り、そのままストレートに受け入れてあげれば、その後の成長過程で問題も起きませんし、ラクなのです。

自分の願いが満たされないという不足が生じれば生じるほど、子どもは親に対する不信感を募らせていきます。そして、自分に対する自信のなさから、その分だけ屈折した要求をつきつけてくるので、受け入れ方もむずかしくなってくるのです。

大きくなるほど、単純に受け入れられないような要求をする子どもが多くいます。「○○を買え」など、無理難題を要求して親を困らせるのです。

ですから、子どもの要求を受け入れてあげるのは、子どもが小さいうちほどいいと提言しているわけです。
「子どもの要求を受け入れていると、どんどんエスカレートして、わがままに育つのではないか」と思っているお母さんやお父さんがいますが、そのようなことは決してありません。
子どもは自分がお母さん、お父さんに受け入れられているとわかると、満足して、あまり無茶な要求はしないものなのです。

ところが、私達親は「子どもを受け入れている、愛している」と言いながら、実は親自身の期待や不安、自己愛を押しつけていることがあります。

もちろん、親が子どもを心配する気持ちはわかります。
しかし、あれこれ注意しすぎる親には、「子どもを信じられないから、心配している」心理が隠されており、親に自覚はなくとも子どもは敏感にそれを感じ取ります。「こんなことじゃダメだよ、ああしなきゃダメだよ」と言われると、子どもは親から受け入れられていないと感じ、やすらげません。
「子どものためを思って心配している」という親の気持ちは、「あなたを信じていない」というメッセージとして子どもに伝わるのです。

また、「自分の考え方、育て方は間違っていないんだ」「こう育てるといい子になるんだ」と思っていることが、実は「自分の望むとおりの子どもになってほしい」という、親の一方的な期待・願望・都合からきていることがあります。
これは「子どもへの愛」ではなく、「親の自己愛」なのです。

このような場合、子どもは親に愛されているとは感じられません。全く愛されていないとは思わないでしょうが、「親の望むような自分でなければ、愛されないんだ」と愛され方に不足を感じるわけです。

自閉症の研究で有名なアメリカの児童精神科医レオ・カナーは「親の子どもへの過剰期待は、それが子どもの将来を案じての愛情、思いやりのつもりであっても、子どもに伝わるメッセージの本質は『拒否』だ」と書いています。
私は、カナーに教えを受けた恩師から「子どもの精神保健、教育にたずさわる者の基本」として、この考え方を教わりました。
過剰期待とは「現状のあなたに満足しない」ということであり、「満足しない」という部分のみが子どもに伝わりやすいのです。

子どもは、「信じられていない、愛されていない、受け入れられていない、拒否されている」と感じると、親や大人に信頼を寄せられないばかりか、自分をも信じられなくなります。「信じられていない自分」のことを、自分でも信じられないのです。
だからこそ、親は子どもの「ありのまま」を受け入れてあげることが何よりも大切なのです。

子どもの心に基本的信頼感が育っていないと、次の段階、つまり幼児期のしつけの中で確立していく自律心--自分で物事を決めていく力--や、自分の感情や衝動を抑制する力を子どもの心に育てるのが、より困難になります。
首がすわらなければ寝返りが打てないように、基本的信頼感が育たなければ、子どもは自信を持って自律的な行動をとることはできません。だから、しつけようとしてもしつけられない、というようなことが起きるのです。
親に「ありのまま」の自分を信じてもらうことで、自信を持っていく--それが子どもがその先、自律性、社会性を身につけていく時の原動力、基盤になるのです。

建物でたとえると、こうした信頼感や安心感は基礎工事にあたります。土台のコンクリート打ちです。土台が不安定で生乾きのうちに柱を立てよう、床を張ろうとしても無理なのです。ところが、そうした無理を親は子育ての中でしばしばしてしまうのです。

また、基本的信頼感は、実は親以外の人を次々に信じていく力になり、友達を作る原動力にもなっていくのです。
さらに、基本的信頼感が育っている子どもは、自分の過ちを叱る人をも信じられます。それが「しつけやすいかどうか」の決定的な分かれ目にもなるわけです。

基本的信頼感が育っていない子どもは、自分が過ちを犯したにも関わらず、それを叱った人を逆恨みしたり、拒否したりしてしまいます。
そして、そうすることが実は自分自身を否定することになるので、ささいなことで自暴自棄になったり落ち込んだりしてしまう子になるのです。極端なケースでは、自傷行動、自殺未遂をすることもあります。

このような現代の若者の姿を見ていると、「人を信じる力」と「自分を信じる力」というものがセットになっていることがよくわかります。わが子の将来を左右することになるのですから、「人を信じる力」を育てることは、まさに子育ての中核とも言えるのです。

基本的信頼感が育っている子どもは、過ちを犯した時に人から注意されたり叱られたりしても、ひどく傷つかずにすみます。つまり劣等感を大きくしないですむということです。また、相手の善意を感じられるので、相手を逆恨みしないですみます。
人を信じる力、自分を信じる力とは、そういうところにも出てくるのです。

初対面の人に出会うと、誰しもある種の警戒心を抱きますが、同時に親しみや、やすらぎも感じるものです。その時、「警戒や不安」より「やすらぎや信頼感」のほうが大きい子どもは、友達に会おうが、学校へ入ろうが、転校しようが、担任が替わろうが、どんなことがあろうと、たくましく対応できます。
また、祖父母とよく遊んで育った子どもは、基本的信頼感が育っていることが多いと思います。
近所づきあいや親戚づきあいが多かった時代には、親同士が親しかったお向かいのおじさん、おばさんが子どもに基本的信頼感を呼び覚ましてくれるような対応をしてくれました。
そういった蓄積が現代っ子にないのは残念なことです。
加えて、親自身も基本的信頼感が弱くなっている世代になりつつあります。ですから、近所の人に対してある種の気兼ねや警戒心、不安、わずらわしさがあって、深入りをしません。
基本的信頼感が弱くなった現代の子育て環境は、基礎工事に手抜きのある不完全な建物のような脆さを感じます。

子どもの感情を満足させ、安定させるには、「親の期待するような子ども」を望むのではなく、親自身が「子どもが期待する親」になることです。別の言い方をすると、「子どもを自分の思い通りにさせること」に喜びを感じるのではなく、日頃から子どもが喜ぶ親でいてあげたいという心がけで育児をすることです。
わが家では、「親が生きているうちに親を喜ばせようなどとしないほうがいい」と教えています。もちろん、親としては喜ばせてほしいのですが、それは子どもには言いません。だからといって子どもは勝手気ままにやりたい放題をするかというと、反対です。
もちろん、子どもに期待してしまう感情をゼロにはできませんが、特に赤ちゃんの時や子どもがよちよち歩きの時にはできるだけ子どもと向き合って、話を聞いてあげることです。相手の言いたいことを「聞き届けて」あげることです。

特に「親にしかできないこと」「他人では替わってやれないこと」は聞き届けてあげてください。
「抱っこ」と言えば抱っこを、「おんぶ」と言えばおんぶを、「もう少し水遊びをしていたい」と言えば、やらせてあげる、「ハンバーグが食べたい」と言えば、作ってあげる。
こういう類のことを100%は無理でも、できるだけ聞いてあげてほしいのです。そのようにして基本的信頼感がしっかりできれば、子どもは健全な自我や社会性を身につけていきます。


先ほど、信頼感を「建物の土台」にたとえました。建物の基礎工事をする時には、採算に見合った工事をしますから、親にも同じように自分の「採算」のようなものがあるでしょう。しかし、その中で可能な限り手抜きをしない、しようとしない姿勢が大切です。
100%完璧な育児を目指す必要はありません。いつも不足を残したままの親子関係が普通なのです。完璧、完全ではなく、「できる限り」でいいのです。
実際に、100%の愛情を全てかけてあげられる親などいません。一生懸命に努力しても、100%子どもが望む親になることなど不可能です。
しかし、どうしたら不十分さを小さくできるかを絶えず考えることは大切です。乳児期にうまくできなかったら幼児期に、幼児期の前半に不十分だったら幼児期の後半まで引き続きやる。そうした心がけは持ち続けていただきたいと思います。

-Mind子ども相談室から-

相談でお話しを聴いていますと、子どもだけでなく親自身にも基本的信頼感の低さを実感することが多くなりました。
基本的信頼感が低いとネガティブな感情への対処がうまくできず、自分自身を守るために自己防衛的になりがちです。人間関係を回避する傾向になったり拒絶されることを怖れ過剰に同調したりします。家庭では権力的で指示命令し感情的に怒る父親がいますが、基本的信頼感が低いので他者を信頼する力が弱いのだろうと思うことがよくあります。
基本的信頼感が低いととても生きづらくなりやすいのです。佐々木先生の教えは私たちへの大きな警告でしょう。