過保護と過干渉

佐々木正美

 過保護は子どもを育てるうえで悪い育児の代名詞のようになっています。「あの子は過保護で甘やかされたので、自分勝手で協調性がない」とはよく聞かれる言葉です。しかし過保護はほんとうにわがままな子どもにしてしまうのでしょうか。まいんどでも毎回のようにとりあげてきましたが、子どもは主として母親をとおして、心の発達でもっとも大切な自分が生まれてきた世界への基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。そのためには自分の欲求がいつもしっかり受けとめられ、十二分に愛され保護される必要があります。

一方、過干渉はどうでしょうか…。幼児期になると子どもはのびのびと自発的に行動するようになります。あらゆることに興味を示し、何度失敗しても叱られても、またすぐ忘れて果敢に挑戦していきます。親は心配で見ていられませんから、つい手を出します。しかし、この規制や干渉が強すぎると子どもは親の愛情を失うことを恐れて、“偽りの前進”や退行現象に陥ったりすることになります。どうやら、過保護と過干渉はこれまで私達が漠然と考えてきたこととは違いがありそうです。この微妙で、そして誤解していた点について考えてみます。

Q-過保護と過干渉はどうちがうのでしょうか。

「過保護というのは、本来ないと思いますが、仮にあるとしたら子どもが望んでいることをやってあげすぎることです。反対に過干渉は、子どもが望んでもいないことをやりすぎることです。どちらも、やリすぎることですが、望んでいることをやりすぎることと、むしろいやがっていることや望んでもいないことをやりすぎることでは、大きな違いがあるように思えます」

Q-親は、子どものために、いいと思って一生懸命やっていることが多いと思うのですが。

「親がいいと思ってやっていることが、子どもにとっていいことかどうかは別です。基本的に過保護が子どもを悪くする例はないと思います。なぜかというと子どもは自分の望んでいるいろいろなことを思いどおリにしてもらうと、ある時期にはもう満ちたりて、どんどん自立していくものです。例えば、いつまでもオッパイを欲しがる子がいたり、いつもお母さんの膝の上に座っていたりする子がいます。子どもが望むとおりにオッパイをあげたり、膝の上に座らせてあげたりしても、その欲求がいつまでも長びくことはありません。ある時期がくれば満足して自立していきます」

Q-過保護にすると依頼心が強くなって自立が遅れると思いがちですが…。

「それが一番誤解しやすいところです。欲求が長びくんじゃないか、自立が遅れるんじゃないかと思いがちですが、かえって自立が早いのです。子どもが望んでいることをしてあげれば、してあげただけ満足して、もう望まなくなります。ところが、子どもがもういいと言っているのに、それでも無理にするのは過干渉です。そうなると子どもの欲求は長びき、いつまでもたくさんの保護を求め、自立も遅くなります」

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■過保護は自立の芽を育て、過干渉は自立の芽を摘む


Q-過保護はよくて、過干渉はよくないということですね。

「過保護はちっとも悪くありません。それに、過保護というほど親は子どもの欲求に対して過剰に応えているのでしょうか。そんなにたくさんの欲求をきいてあげている親は少ないと思います。過保護は自立の芽をしっかり育て土台を作りますが、過干渉は自立の芽を摘みとり、自主性、主体性を損なう恐れがあります」

Q-過干渉はいけないことがわりましたが、干渉はある程度必要だと思うのですが。

「親には子どもをしつける義務がありますから、干渉のすべてが悪いとは思いません。しつけというのは、ある程度何かを強制し、何かを禁止することです。ですから、やリすぎはいけないけれど、そのことが子どもを育てるうえで、ある程度は必要です」

Q-ある程度の干渉でも、子どもにとっては、いやなものだと思いますが、どのように対応すればいいでしょうか。

「干渉されるということは、子どもが自分のやりたいことではなく、やらねばならないことを教えられることです。やりたいことを我慢して、やらねばならないことを『やりなさい』とか、やりたいことでも『やってはいけません』ということが、ほどほどに必要です。ところが子どもの自主性、主体性はやりたいことのなかで育ちます。やらねばならないことばかリやらせすぎると、自分がやりたいことよリも、やらねばならないことのほうに関心が強くなります。そうして親の多くは、うまくいった場合、褒(ほ)め言葉や品物を買い与え、過剰な褒美をあげます。小さいときから、そうしたことをされすぎると、評価に過敏になります。親や大人の評価にばかり心が奪われ、褒められることばかりして、叱られるようなことをしない子になります。」

■親や大人の評価ばかり気にすると“偽りの前進”をする

 「つまり、どうすれば褒(ほ)められるかという“偽りの行動”ばかりするようになります。周囲から『ああしなさい、こうしなさい』と言われることばかりして、本来の自分の行動がどんどん失われ、自分を見失っていきます。けれど幼児期には、まだ本来の自分というものがはっきりしていませんから自分を見失った状態というのはわからないのですが、思春期になると問題がはっきり出てきます。自己を見失った状態の自己不全感、自分がない、いま流行の言葉に言い換えればアイデンティティー(自己同一化)が確立できない状態になります。モラトリアム人間などは、その典型です。小さいときに、思う存分自分のやりたいことをやらせて、やってはいけないことの最少限度を干渉してあげれば子どもが思春期になったときに非常にうまくいくでしょう」

Q-小さいときに、良い子すぎるのはよくないのですね

「登校拒否とか拒食症とか家庭内暴力とか言われる子どもは、しばしば小さいときは素直でいい子で、反抗期なんかなかったと親が言います。反抗期がないというのは、自分がない、自分を見失っている状態ですから自立するのに厄介な障壁となります」

■しつけはトイレット・トレーニングと同様にゆっくりと

Q-「いけません」が多く、自分のやりたいことが思う存分できない過干渉の結果というわけでしょうか

 「大きくなってから褒められることをするのはいいけれど、子どものときに褒められることしかしない子になってはいけないのです。親は褒めすぎてもいけません。幼児期や小学校の低学年では、いい子にしていれば褒められることがわかっている。よくわかっているけれど、それでもどうしようもなくて度がすぎたり、規制をやぶって自分のやリたいことをしてしまうのが正常な発達です」

Q-正常だと思っても親は、良い、悪いを教えるために叱らなければなリませんね。

「もちろん、いけないことは叱る必要があります。しかし、このくらいなら正常なことだと心のなかで許して、厳しくは叱らないようにします。ほんとうに悪くて許せないことは、きちんと叱るというようにすればいいでしょう。『こんなことをしちゃいけません』と言っても、許す気持ちがある『いけません』と『二度とこんなことをしたら許しません』という強い言い方とでは子どもの受けとめ方が違います。このことが大切です。トイレット・トレーニングと同じです。きちんと排泄ができるまで便器に座らせることはよくないですね。慣れないうちは便器にオシッコをしないで、パンツをはかせるとオシッコをしたりします。それがいけないことでなく、いつからこの子が便器でオシッコをすることができるかを待ってあげる。失敗して、叱らないこともしつけですし、ちゃんとここにするんですよと教えることもしつけです。そういう意味あいを親が心得ていることが大事です」

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■子どもが満たされるのは親の手作りの愛情から

Q-過干渉に育ててしまった場合は、どうすればいいのでしょう。

「子どもに思っていることを自由にたくさん言わせて、よく聞いてあげることです。そして、『それは、いけない。これはダメ』と批判しないこと。聞くことは、子どもの欲求をかなえてあげることです。かなえてもらえれば、どんどん話すようになります。

 もうひとつは、良いことをしたときの褒美を大きすぎたり、悪いときの罰を強くしないこと。これは、どちらも同じ意味を持つことですから。さらに、親の手作りで子どもの欲求をかなえてあげることです。それには子どもの食べたいものを親が作ってあげるといいです。金銭で買い与えるものは、品物を得た喜びはあっても、買ってくれたという親に対する喜びはあまりないようです。親にとっては働いて得た大切なおカネでも、子どもにはまだ理解しにくいことです。子どもによくわかって、親の気持ちの込められているものは手作リの食事が一番だと思います。急に話を聞いてあげるといっても、過干渉で、親にのびのびと言いたいことが言えなくなっている子ですから、何週間でも何か月でも長い時間をかけて、少しずつ話せるように、ゆっくりと聞いてあげるようにします」

 Q-親が過干渉にしていることを気づかない場合もありますね。

「早く気づけばいいのですが、自分で気づくのは、なかなか難しいことです。親に自分の望むことを十分にしてもらっている子は、園で先生の手をわずらわせないで仲間と仲良くのびのびと遊べます。ですから園で友達のなかに入っていくのが上手か下手かをみるとよくわかります。親から何日も離れられない子、いつも先生の周りにまとわりついていて、友達のなかに入っていけない子は過干渉の可能性があります。先生の周りでいい子になってお手伝いしている子はまだいいのですが、先生のいやがることをわざとたくさんして関心をひく子でしたら要注意です。」

■親の孤独、孤立が子どもへの過剰な干渉を招く

 「園の先生は、そうした子どもに気づいたら、その親と不自然にならないように言葉をかわしてあげましょう。けっして子どものことを話題にする必要はないのです。『いいお天気ですね』とか『素敵なブラウスですね』というような親しみを込めて相手を受け入れる会話でいいのです。なぜなら、過干渉の親というのは、親自身が周りから受けいれられていないことが多いのです。自分が受けいれられないのに子どもを受けいれることは難しい。自分が孤独ですから、子どもが自分のいうことをきかないと許せないのです。ですから、周囲の人が親を受けいれてあげることが大切です」

Q-過干渉の親にならないために、親自身の人間関係をよくしていなければいけないのですね。

「そうです。地域や親戚、友人、夫婦関係を良くし、お互いに受けいれられる状態でなければいけません。そうした親や先生達は、子どもの話を聞くだけでなく、子どもの願いもかなえることができます。孤独になるにしたがって過干渉になり、虐待するようになるのです。しばしば体罰をする教師に多いですね。先生自身が我慢できない。先生同士が孤立していては、どんなに優秀な先生でも、いい保育やいい教育はできません。コミュニケーションが大事です」

■信頼感が培われれば子どもは親のいうことをきく

Q-自分の人間関係を見れば、ある程度わかりますね。

「地域社会に親しい人がたくさんいるか、学校時代の友達とつきあっているか、親戚と往来(ゆきき)があるか、職場の仲間とうまくいっているか。自分の人間関係をよく観察してみれば、子どもといい関係ができるかある程度の自己診断ができると思います」

Q-干渉も、やリ方によっては過干渉になりかねませんね。

「子どもがいやがる塾や習いごとに無理やりに、いつまでもつれていくことがあります。これは過干渉です。子どもの個性と能力と、いやがる度合を見て、干渉か過干渉かをみきわめればいいのです。子どもが望んでいないことをしてはいけないということではありません。過剰にしてはいけないのです。

どこまでが過剰で、どこまでが過剰でないか、これはそれぞれの家庭の価値観、環境、文化、親子との関係などで決めればいいことです。親と子の関係は、普段から、子どもの言うことをたくさん聞いてあげていれば、親の言うことも聞かせやすいということがあります。いつもたくさん言うことを聞いてもらっていれば、子どもは少しぐらい我慢できるのです。あまり聞いてあげていない子に我慢しろと言っても我慢できるものではありません。また普段よく話を聞いて欲求をかなえてもらっていれば信頼感もあります。信頼している人の言うことはよく聞くけど、信頼していない人のことはちょっとしたことでも聞けないのです。ですから、いやな人の言うことは、ちょっとしたことでも過干渉になったリすることもあります。同じことでも、親子の関係によって干渉になったリ過干渉になったリしますから、普段から子どもの欲求をよく聞いて、良い親子関係を作っておくことが大切です」

■依存して満たされ、十分に保護され、そして自立する

Q-やはり、十分な依存体験がなによりも大切なのですね。

「自立というのは、依存体験を抜きにしてはあり待ません、それが依存から自立への発達プロセスです。そして社会や周囲が期待する行動をとるのです。幼児でいえば、自分で洋服を着るとか、規則を守るといった行動がそうですね。子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする。これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。親の欲求不満を満たすための過干渉は慎みたいものですね」