佐々木正美先生インタビューシリーズ8 人格形成と現代人の特徴

■人格形成

Q.次は人格形成ですが、ある意味で人間の一生は、人と出逢い、よい本を読んだり、よい仕事をやり、そんなことをたどりながら人格形成をする旅なのかもしれません。人格形成に失敗してしまうと、むずかしい問題がいろいろ起きてきます。人格の基盤づくりの時期を中心に、お話ししていただければと思います。

 

 「人格とは英語でいえば、パーソナリティーといいますね。パーソナリティーというのは、パーソンという言葉からきて個人ということですね。一人だから、その人固有の人間のあり方みたいなものが人格だと思うんです。だからいろんな人格、十人十色の人格というのがあると思います。
 性格はキャラクターで、人それぞれの色合いのようなものですが、人格というのはそういう意味ではパーソン、その個人固有の人間形成そのものですね。人間形成は一生涯かかってやって行くことですね。

 

 ●人格を建築物に例えると、人格の土台づくりは乳幼児の養育


 人格を建築物に例えて考えてみましょう。

 まず建築は、コンクリートで土台づくりをして、柱を立て、床を張り、屋根をふき、壁を塗って、最後は、カーペットを敷き、家具を入れて終わるとします。人格形成も、その順番でいくと思います。土台作りと家具の搬入を考えたら、人格を決めるものは、どこかといえば、誰もが、土台作りだと考えると思います。

 

 あとから、やるものほど、やり直しがきくんですね。やり直しがきくものは、教育でいえば大学で、大学教育がいちばんやり直しがきくんです。だから、人によっては、2つも3つもの大学に入学しなおしたり、卒業したりするわけです。ところが、それまでのところでのやり直しは、前になればなるほど、しにくいわけです。いい建築物になるか、不安定な建物になるか、人格も、いい人格、あるいは悪い人格というか不安定な人格になるかというその基本的問題は、コンクリートの土台作りの時だと思います。あとから訂正が絶対きかないとはいいませんけど、基礎工事の手抜きや失敗の修理は非常に困難なことになることでしょう。

 

 建築と全く同じだと思います。ですから、建全な人格づくりには早い時期の養育ほど大切なわけで、いつまでということは言えませんけど、早い時期ほど、すなわち乳児期がいちばん大切で、その次は幼児期の早期、1歳~3歳くらいまでが、きわめて重要かなと思ったりしています。先人が、〝三つ子の魂、百までも″と、あれはすばらしい言葉だと思います。

 

 ●人格は家庭で、それも3歳くらいまでが重要

 

 百歳までかかってつくる人格の非常に重要な部分が、3歳くらいまでにと象徴的、比喩的に言っているんですけど、早い時期に決まるわけですね。本当に乳幼児期を大事にしたいです。それも、幼稚園に上がるまでですよ。次いで小学校に入るまででしょう。

 

 そういう意味で、人格の土台作りは家庭でやるべきです。家庭にこそ個別性があるわけですからね。保育園や幼稚園でやってもらうとか、学校でやってもらうとかだったら、個別性はそれほどないんですよ。○○幼稚園、○○保育園、○○学校のカラーはあります。でもパーソナリティーではないわけですね。スクールカラーであり保育園カラーですね。ですから大事な部分は、パーソンの部分は家庭で、それも乳児期からできるだけ早期幼児期にね。

 

 

 言ってみれば保育園や幼稚園は、ゆっくり柱を建ててもらう。床を張ってもらってとかでどうでしょう。そして壁を塗るところは、小学校とかね。屋根をふくのは中学校とか、高校、大学になったら内装くらいですか。内装はいつだって取り替えられるし、壁紙だって張り替えができるし、カーペットもいつだって入れ替えができます。大学院や留学は家具や外装の仕上げのようなもので、見た目には華やかですが、いつだってやり直しができる。大事なことは、乳幼児期にだと思います」。

 

 

■現代人の特徴


Q.現代人は共感性に欠け、衝動的でもあると言われていますね。 各人が生活を自己完結できれば、勝手に生きてよい、しかし…

 

 

 「これは豊かさと平和が長く続いたためです。現代日本人と言ってもいいですね。世界中の人間がそうであるかどうかは別ですので。豊かさと、平和がこんなに長く続くと、自分勝手に生きても、かなり安定した生活ができるわけなんですね。自分勝手というのは、その日その日は生きやすくて気楽ですけども、人間は、本来社会生活を営むのが大きな特性ですから、各人が各様に生活を全て自己完結できれば、自分勝手に生きてもいいんですが、そうはいかない。自己完結できないのに、人間は豊かさと平和が長続きすると自分勝手になりすぎてしまうというところがあるわけです。決して自己完結はできないですね。誰か一人が病気をした時など一つの家族の生活を維持して行くだけでも難しいのですから。

 

 ●現代人は公的な所に責任をかぶせて勝手な生活をする

 

 ですから人間は多くの人に依存しなければいけないですね。ところがみんなが自分勝手に生きる気安い気楽な生活をする習慣を身につけてしまったために、面倒なことはみんな公的機関にあれこれと頼るようになったんです。そのことはマスコミの姿勢を見ても極めて象徴的だと思うんですが、個人の非を指摘するようなことは、記事にほとんど書かない。公的なものを非難することは声を大にして書くんですね。だからマスコミも含めて、日本人全体がそうなったと言ってよいと思うんですね。公的な所に責任をたくさんかぶせて、各人は割合自分勝手な、気ままな生活をしようとするようになったのが、基本的には現代人の特徴だと思います。老人は老人福祉保障でやって欲しいとか、幼い子どもの育児も朝早くから夜おそくまで保育園をはじめ学童保育でやって欲しいとかですね。学校には、本来家庭で親がやるべきしつけも含めて、何でもかんでも全部期待してしまうというように。

 

大人たちは各自がこういうふうに仕事をしてとか、あんなふうにレジャーを楽しむ生活を送りたいとか、どんどん欲求が肥大してきて、言ってみればそのしわ寄せと言ってもいいと思いますが、みんなの足りることを知らない欲望の実現を公的な役所、機関で請け負わざるを得ないというのが現代の我が国の風潮ではないですか。いいとか悪いとかでなく、そういうことをみんなが言ってられるだけの豊かな世の中になったということだと思います。

 

 ●義務や責任を果す感覚は現代人からは減りつつある

 

 では、そういうことを子どもの側からみますと、子どもも、自分の問題やいろんなことについて主張したり誰かに要求して頼ろうとする。親や大人たちが役所や公的機関にあれこれ要求し頼ろうとしているものを、子どもはどうするかというと、親に向けようとするわけです。社会的な問題に対して私たち一般に大人や親も自分の方から積極的に責任や義務を果そうとしない風潮が強くあります。どんな責任や義務を果たさなければならないかは、その時代時代によって違うと思いますが。あるいは世界の国々によって、地域の差があると思います。

 発展途上国では、水汲みだとか田畑の仕事だとか家事、育児だとか、子どもが手伝わねばならない国もあるでしょうし、日本の子どものように、そういうことは一切しなくてもいいという国もあるでしょうね。村のいろんな仕事の義務を、村人がみんな分かち合ってしなければならないというところもあるし、役所がみんなやってくれるという日本のような社会もあるというように、義務や責任を各人がどう果たし合わなければならないかという決まりはないんですね。

 まるでほとんど何事も義務や責任をもっとも果さなくてもよいのではないかと思えるくらいになっているのがいまの日本の社会だと思うんですね。ですから、義務や責任を果すという感覚はどんどん現代人からは消えていっていますよ。子どもも同じことなんですね。子どもが義務や責任を家庭の中で果さなくてよくなっている。社会の中で親もまた果さないというわけです。

 

 ●親が役所に要求するように、子どもは親に要求してくる

 

 そして権利や要求の主張ばかりを、親が社会に向かってする。役所や学校に向かってするというのと同じように、子どもは親に向かってするわけです。だから今日の社会の中では、役所が住民に対して、ゴミの処理や子どもの保育などまるで無制限とも思えるくらいに次々と、むずかしいことをいろいろしなくてはならなくなります。同じように子どもが物理的な力、要するに腕力をつけてくれば、あれこれ要求してくるし主張もするわけです。

 

 ゴミの焼却炉や障害者の施設を近くに建設するのを反対する住民パワーのように、家庭内暴力をふるう子どもが増えてくるという仕組みは厳然としてありますよね。ですから、それは大人たちが役所や学校やその他の公的機関に向けてするように、子どもは親に向かって座り込みもすれば、ストもする、暴力も振るう、これは現代人の精神心理の特徴だろうと思いますね」。

 

 

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