子どもの自立

佐々木正美先生インタビューシリーズ12 子どもの自立

■子どもの自立

 

Q.自立とはある意味で、親の力を借りなくても子どもが自分に与えられた人生をいかに開拓し、課題に挑戦していくか、そうしながら親離れをしていくことが子どもの自立という気がします。自立を果すために大事なことは一体何かということをお話しください。

 

「自立ということは、こういうことだと思ってるんですね。自分の力をある意味で独立して発揮することにみえますけども、人間の社会の中での自立というのは、悟りきった人が山の中で隠遁(いんとん)生活をするのと違って、町の中や社会の中で、人と何かをある程度の主体性と協調性をもってすることが自立だと思うんですね。主体性と協調性のバランスが自立だと思うんですよ。ですから、別の観点から言えば、人に頼ることと、人から頼られること、その中に自分のアイディアやプランを生かす、このバランスを周りの人たちと自分の個性や能力をよく考えて、バランスをとっていくことが自立だと思うんです。だから、何でもかんでも一人ですることが自立ではないわけですね。

 

●子どもは希望が受け入れられるほど、価値あるものと認められる

 

 よくトイレットの自立とか、着脱衣の自立とか、食事の自立とか言います。まあ、基本的生活習慣の自立というようなことになるでしょうか。これらは子どもが一人でするということですね。だけど洋服を一人で脱いだり着たり、ご飯を一人で食べたり、トイレットに一人で行けるなんていうことを本当の自立と言ったら間違いなんですね。そういうものの自立ということが親はよく頭にあるものですから、何でも一人ですることが自立だと思っているんですね。ところが、本当に社会的な自立行動のできる人というのは、人との調和で何かができる人なんですね。だから人との関係で何かができるように教えることが大事なわけです。人との関係で何かができるということは、人を信じ自分を信じることでしょう。人を信じるようになるためにどうするか、自分を信じることができるように育てるにはどうするかということは、さきほどお話したとおり、まず親を信じて親との人間関係を、それから親以外の人との人間関係をどういうプロセスで学んでいくか、ということです。

 

 そのためにまずは「自分がどれくらい価値のある者として受け入れられているか」というところから始まるわけでしょう。どれくらい価値のある者として認められているかということは、ああだこうだと干渉されすぎたり、注意されたり叱られすぎたりすれば、それだけ価値のないものというふうに子どもは感じるわけでしょう。だから子どもは、自分の希望がありのままに受け入れられれば受け入れられるほど、自分は価値のあるものとして認められているという実感をもつし、これでは駄目だ、ああしなくちゃだめだと言われれば言われるほど、自分の存在は価値の小さなものとして感じるわけですよね。

 

 愛のむちなどと言いますが、本当に愛のある人がむちなど必要としますかね、私は疑問です。子どもはまず無条件で受け入れられることで自分が本当に愛されていることを知り、その辺の信頼から、その他の人も信じるようになり、自分自身への信頼すなわち自信をもつことができるようになると思うのです。自信がある子どもと無い子どもはそういうところで決まるわけですよね。

 

●人との調和の中で自分のプランを生かせることが自立である

 

 自分に自信があるということは、親を中心に人から認められていること、愛されていること、そのまま受け入れられていることを実感することです。子どもは自分を認めてくれる人がいればいるほど、認めてくれた人を信頼することができ、その人を信頼することによってそうでない人に対する信頼感も広がって行くわけですね。

ですから、人に対する不信感とか、恐怖心や警戒心が強いというのは、自分の欲求が基本的にはどれくらい認められたかどうかで決まるわけなんです。そういう意味で、自分の欲求がたくさん満たされた子どもというのは、人を信頼するし、自分の存在を肯定的に感じることができるし、人を愛することができます。ということは、人と調和した行動がとれるということになっていくわけでしょう。人との調和の中で、ある程度自分のプランを生かすことができるようになってはじめて自立なんですよね。勉強ができても何ができても、それだけでは全く自立的な力にはならない。

 

 クラスでトップクラスの秀才の不登校児というのは、少しも珍しいことではないですね。あくまで人との調和の中で何かができなくてはだめですね。だから仲間から孤立した状態で何かをあれこれ、例えばコンピューターゲームを一人で一日中やってるからあの子は自立した生活ができてるだなんて、だれも思わないでしょう。仲間といろんなことを思いきりやれる子どもの方が、小学生なり中学生なりに自立している子どもといえるのだということが分かるわけですよね。だから自立と孤立とは全然違うということを知らなくてはいけないのですね」。

 

Q.自立は急がせるものではなくて、十分な愛情をかけて、親やその他の大人や子ども、仲間との関わりの中で育ってくるのを待っていてやるものなんですね。

 

●子どもに決めさせてあげるから自律心がでる。待つことが大事

 

 「そう、自然にでてくるものなんです。個人差があってね。しっかりと自立する子の方が自立は遅いのです。ゆっくりと地ならしをして、土台をしっかり築きながらというのがありますからね。ゆっくりさを待っててあげることが大事でしょう。それから、しつけと自立という関係から言えば、自分で自分をコントロールする力が出てきて初めて自立に向かっているわけです。

 

 その前に自分を律する方の自律が身につかなければいけないでしょう。自分で自分のことを決めるという意味ですね。あるいは自律は、自分の衝動をコントロールするという意味でしょう。ということは大人が決め過ぎたのでは自律心は育たないんです。こうするもんだよと決め過ぎたり、せっかちに内容と時期を決め過ぎるのは、子どもからみれば他律なんですね。他がコントロールしてるわけです。子どもに決めさせてあげるから自律心ができるわけでしょう。だから待つことが大事なんですよ。

 

 大事なことは子どもに何度でも伝えるだけでいい。いつからそれが実行できるかは待っててあげるという姿勢が子どもの自律性を育てるのです。自分の存在を十分認められているという実感があって、大切なことはくり返し教えられることはあっても、身につく時期は待っていてもらって、子どもは初めて安心して、自信をもって、周囲の人に対する信頼感を持ちながら、そういう人たちとの調和をはかり、自立、インデペンデントな生活ができるようになって行くということです。

 

●育児の上手な人は、我慢と感じていない

 

 現象的には、ゲゼルとかエリクソンもいろんな表現で指摘しているように、子どもは、依存と反抗をくり返しながら自立して行くということは私も実感します。依存というのは、自分がどれくらい愛されているかを確認することです。要するに自分の価値を確認するために、自分の欲求を満たしてもらうわけです。

 

 それから反抗というのは、相手がそういう自分をどれくらい受け入れているかということを確認していることであり、同時に自分が主体的な行動をとれることを確認しているわけですよね。だから、依存と反抗をしっかりしなければ子どもは自立して行けないということでもありますよね。ですから、育児の上手でない人、嫌いな人からすると子どもの行動はこちらを我慢(がまん)ばかりさせるようにみえるんですね。依存してきて、反抗するわけですから。でも我慢に思えるようでは駄目ですね。

 

 

 育児はある意味で仕事でしょう。けれどもいい仕事というのはすごく気持ちがいいといいます。科学の実験にしろ、芸術作品を作るにしろ、それが楽しくてやらないではいられなくてやっているでしょう。育児の上手な人は、それが我慢だなんて感じてないんですよね。

 

 科学者が、いい研究が軌道にのっているときに、徹夜をして実験するのが、我慢だなんて思ってないでしょう。今、実験を中断することの方が我慢だったりしてね。いいコンピューターなりハイテクの機材を作ろうとしている人とか、いい自動車を作ろうとしている人、いい音楽を作ろうとしている人、いい絵を描こうとしている人、いい農作物を作ろうとしている人というのは、人よりたくさんの時間や労力を費やしているわけです。それを我慢だなんて思っていないですよね」。

 

Q.楽しみにしながら待つという感じですね。

 

 「草花の好きな人というのはね、決して無理難題を草花にいわないもんね。うんと手をかけ心をかけて、花開くのを楽しみにして待つわけです。うんと努力することが基本的には楽しみや喜びでなくちゃあね。苦痛になったり、嫌になるようでは、子どもは不幸ですね、駄目ですね」。

 

 

 

 

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