児童虐待

■児童虐待

 

現代社会における子どもへの虐待を考えるということは、現代の社会を考えるということですし、その社会を構成している私たち一人ひとりの人間のありようを考えるということになると思います。日本人一人ひとりが、どういう方向を向いているのか。どういう人間性を強めているのか。そして、私たちはどのようにして行けばよいのか。ヒントを差し上げることができるとよいと思います。

 

虐待の世代間伝達

 

虐待されながら育って来た人は、自分の子どももつい虐待してしまうとよく言われます。そのように、ある行動、感情のようなものが世代を超えて次々と伝わっていくことを世代間伝達といいます。

 

新聞にある善良な市民の方の質問がありました。

幼少期より親から虐待されていた人が、大人になって、子どもを虐待してしまうということを聞いて、自分はどうも腑に落ちない。幼い時に頼りにせざるを得ない親から虐待されてしまうことが、どんなに辛いことか、悲しいことか、本人は重々承知しているはずではないか。そういう親が、どうして自分の子どもも虐待してしまうのか、それがどうしてもわからない。こういう素朴な質問なのです。子どもを虐待することのない人から見ると、そう思えるのは、ごく自然な感情です。

 

それに対して、ある児童相談所の方が回答なさっておられました。いいお答えでした。私なりに少し脚色して、拡大解釈して、ご紹介したいと思います。

 

子どもを虐待してしまう親が、自分が子どもの時に虐待を受けたことが多いことは事実です。子どもの悲しみがわかるでしょうに、と一般の人が素朴に考えることもよくわかります。けれども、親から虐待されながら育って来た人というのは、愛されたいという感情が人一倍強いのです。愛されて来た人には到底わからないほど、愛を渇望しているのです。それは、愛されて来なかったからです。

 

愛の欠乏

 

いつもお話するように、人間というのは、愛されて来た分だけ人を愛することができるのです。愛されて来なかったのに人を愛することができるという、神様のような人はいないのです。

愛されて来なかったどころか、虐待というひどい仕打ちを受けて来たのですから、その人が愛されたいという強い欲望、衝動を持つことは当然なのです。「大人だから」「母親だから」子どもを愛することができるわけではないのです。

幼い子どもと向き合う「大人の」「母親」が、赤ちゃんやよちよち歩きの幼い子どもから、愛されたいと思ってしまうのです。なぜかというと、他に自分のことを十分に愛してくれる人がいないからです。

 

夫から豊かな愛情を受けながら子どもを虐待する母親はいません。妻から十分に愛されていながら子どもを虐待してしまう父親もいないのです。虐待をする親は、誰からも愛されていないのです。それどころか愛されて来た歴史も持っていないのです。このことを私たちは知らなければなりません。

子どもから愛されたいと思った時に、親はどういう感情を持つかというと、自分が望むようにして欲しいと思うのです。

 

赤ちゃんにおっぱいを飲ませて欲しいと思う親はいませんし、赤ちゃんに抱っこをして欲いと思う親もいないでしょう。幼い子どもに宝石を買ってもらうことも不可能ですから、現実に可能性のありそうなことの中で望むのです。

そうすると親は幼い子どもに何を望むのでしょうか。

「よい」子でいて欲しい。「よい」赤ちゃんでいて欲しいと思うのです。疲れて眠い時に夜泣きなんかしないで欲しい。こんなことなら望めるような気がするわけです。

 

自分が一生懸命作った離乳食はちゃんと食べて欲しい。私が忙しくしている時に、泣いて足元にまとわりつかないで欲しい。おんぶや抱っこなどしなくても、いつも機嫌よい子どもでいて欲しい。そういうことを気持ちの中で望むのです。

 

そして、望んだ通りにしてくれるように見える時もあるのです。今日は離乳食をよく食べてくれた。夜泣きをしないで一晩過ごさせてくれた。こういう時には、子どもを虐待する親は、一瞬子どもを大好きになるのです。

 

子どもを虐待してしまうくらいなら、どうして子どもを手放してくれないかと思いますが、手放せないのです。その子どもから愛が欲しいのです。

児童相談所の人が、「あなたは、今は育児をするのは無理ですから、私たちに子どもを預からせて下さい」と言っても、なかなか子どもを渡してくれません。渡してくれないから不幸が起こるのです。

虐待をしている事実に気がついているのに、どうして子どもを救えなかったのかとよく言われますが、親が子どもを離さないのです。そしてもう少し大きくなると、親をかばってくれるのです。

児童相談所の人が訪問しても「いいママです」と言ってくれるのです。子どもも親の愛情が無性に欲しくなっています。ですから、親は子どもを離せませんし、子どもも親から離れられない。そういう病理を持ってしまうのです。

 

人は誰でも愛を持っているというのは嘘です。愛を与えられて来たから、愛の蓄積があるのです。本当は親の愛だけでは足りないのでしょう。かつてのように、祖父母や親類縁者、地域社会の人々、たくさんの人の愛の中で育つことがなくなってしまいましたから、多くの人が愛に飢えているのです。愛の欠乏症です。ビタミンの欠乏は、身体の病理を起こしますが、愛の欠乏は深刻な精神障害を起こします。

 

今日は、自分が望むような子どもに無理やりしようという親が多い時代だということは、皆さんお感じになっていらっしゃるだろうと思います。

 

         

 

幸福とは、相田みつをさんが言うように、人が決めるものではなく、自分の気持ちが決めるものなのです。サリバンが言うように、人との関係の中に自分の生き方を確認するということです。

 

人間関係を大切にして生きるということは、人を大切にするというところから始まります。

けれども子どもの場合は、自分が大切にされるというところから始まるのです。幼い子どもが、人を大切にするというところから人生を始めたら、これはひどくいびつなことになります、人の顔色を見るようなことになってしまうのです。子どもは大切にされることから始まらなければなりません。

大切にされながら大きくなって、そして人を大切にすることができるようになるのです。

私たち大人は、どれだけ自分が大切にされてきたかということは、ある意味でご破算にして、自分の努力で人を大切にしようとしながら、いつとはなく自分も他者から大切にされているという関係を持ちたいと思います。

子育て協会 発行 佐々木正美シリーズ4「児童虐待」より

※本文とタイトル写真とは関係がありません

佐々木正美シリーズ4

 佐々木正美著 「児童虐待」

 2002年3月発行 ¥1080円(税込)+送料160円(一冊) B6版 96ページ

子育て協会発行「児童虐待」

 

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