子どもにとっておもちゃとは? 遊びとは?

 

子育て協会編集室&ゆめこびと

 

子どもにとって、遊びは生活そのもの。どの子にもきっと、熱中している遊びや、お気に入りのおもちゃがあるでしょう。しかし最近では、子どもがTVゲームばかりで遊んでいて困っていたり、おもちゃを手に入れる機会が増え、おもちゃ選びで悩むお母さんも少なくありません。あふれるおもちゃの中で、果たして子どもは遊びを充分に楽しんでいるでしょうか。

子どもにとっての遊びの意味とは? 遊びを通して何を獲得していくのか、またそのためにおもちゃというのはどんな役割があるのでしょうか。子どものおもちゃと遊びについていま一度考えるために、東京都中野区にある「おもちゃ美術館」館長の多田千尋さんを訪ね、お話を伺いました

多田千尋さんに聞く

 

子どもの成長にとって大切な栄養素はふたつあります。身体にとって大切なものは、食べ物ですね。もうひとつは心の栄養素です。絵本、人形劇、時にはビデオやおもちゃだと思います。心の栄養素は結果がはっきり見えないので、案外見過ごされてしまいます。子どもが何となく元気がないことはわかりますが、朝起きて今日は心の栄養失調ぎみかな、なんてことはわかりません。

どちらかの栄養素のみが栄養満点であればいい、ということはなく、両方の栄養素が必要です。身体も栄養満点、心も栄養満点。それで今回は心の栄養の方にポイントを絞ってお話したいと思います。

 

子どもにとって遊びの意味

 

どうして心が栄養満点でなければいけないのか。私は、基本的には子ども時代(特に0歳から6歳の時期)に最優先すべきことは、遊びだと思います。遊びを削ってまでやらせなければならないことは、ないのではないでしょうか。

なぜかというと、遊びがもつ2大研究事業を子どもが取得していくからです。それも遊びという方法でしかできない事業なんです。

ひとつは、エネルギーの完全燃焼をしているのです。子どもは全身全霊を傾けて遊ぶ。手を抜いて遊んでいる2〜3歳児を私は見たことがない。砂場遊びを中断させられると拒むし、お昼を抜いてもいいくらい集中しています。それを大人になってから覚えようとしても、もはや手遅れでしょう。子どもの時に肌身をもってやらないとわからないことなんです。

ふたつめは、人間の研究をしているということ。10ケ月や11ケ月の赤ちゃんでも、自分から何か言葉を発する。相手の人がどういう反応を示すか、非常に興味をもっていますね。自分から情報発信すると他者が喜怒哀楽を示してくれる。ものすごい人間研究ですよね。

この積み重ねこそが分別とか状況判断につながります。遠慮なくもみあい、もまれあう関係の遊びでしかできないことです。遠慮のない関係というのがポイントで、それによって傷つきあう。あるいは喜び合える。グループの中のポジションを得るとか、失うとか。

エネルギーの完全燃焼と人間研究。このふたつだけを考えても遊びを犠牲にしてまでも他にやることがあるんだろうか、と思います。

 

遊びは仕事より厳しい

 

数年前にTBSラジオの「子ども電話相談室』に出演していた時、なだいなださん(精神科医)に、なぜ子どもが遊ばなくてはいけないのかと質問しました。今でも印象に残っている答えは、「子どもの時に一生懸命に遊ばないと、大人になって一生懸命仕事ができないんだよ」と言われたことです。

大人の仕事と子どもの遊びは同じレベルで考えなくてはいけない。でも仕事のほうがまじめな活動で、遊びは不真面目と見られがちです。専門家でも家庭では、自分の子どもには言ったりするんですよ。「いつまでも遊んでばかりいて」とか「なんだその不真面目さは、遊びじゃないんだぞ」と(笑)。でも、仕事と遊びでは、絶対遊びのほうが厳しい。仕事って案外弁解やいい訳がきくけれど、遊びではさぼることは許されない。それをしたら誘ってくれない。

麻雀遊びの世界ではズルイことをしたら小指まで落とすこともある位です(笑)。仕事ではそこまで厳しくないですよ。仕事のミスで小指を落とす、なんて(笑)。だから私はなださんの言葉を、子どもの遊びは大人の仕事よりももっと大切なこと、と受け止めました。子どもを遊びの栄養失調にさせてはいけないのです。

 

おもちゃは遊びの応援団

 

おもちゃについて私の持論は、「あまりおもちゃに過剰な期待を持ったり過大評価をもつのはやめよう」です。絶対、遊びのほうが主人公。おもちゃが主入公になったらおかしいですね。「次の誕生日にドイツ製の木でできた15,000円のおもちゃを買ってあげる」じゃなく、そのおもちゃを有効活用できる文化がその親子や家族にあるかどうか、です。

これは食材とまさに同じです。たとえば高級スーパーの高い食材だからといって、我が家の食卓が豊かになるとは限らない。その人のソフト力、人間の問題なんです。
昭和40年代半ばに百科辞典を月賦で買う人がものすごく増えました。でもほとんどの家庭が粗大ゴミまたはインテリアになっている(笑)。当時はピアノも売上を伸ばした時期ですが、今では1〜2万円で引き取ってもらっている。そこの家がピアノという文化をたまたま享受できなかっただけ。おもちゃも全く同じです。

遊びのセンスに長けたお父さんが居るかどうかで、おもちゃ文化がガラッと変わります。そういうお父さんと川原に行くと、そこの石はグッドトイですよ。必ず平べったい石を探して川に水平に投げます。そうするとピョンピョンってあめんぼうのように跳ねる。それを見て子どももまねをするけれど、絶対跳ねない。お父さんがやると、また跳ねる。お父さんの手は魔法の手かなって。

その小石は、ドイツの木のおもちゃより劣っているのでしょうか。おもちゃがその家族たちとどういうお見合を果たせるか、ということです。いい仲人がいたって、いい夫婦が生まれるとは限らない。いいおもちゃを選ぶおもちゃ屋さんがいくらあったとしても、おもちゃ自身が幸せになれる相手がいると思うんですね。

 

おもちゃを生かせる力

今、いろいろな力が求められていますが、私が好きなのは「遊び力』です。子どもにも大人にも保育士さんにも、総じて遊び力は失われていますね。その中で親がどうおもちゃとつきあっていくか、次のふたつが大切だと思うんです。

ひとつは、子どものことに対しての感度の高いアンテナの必要性です。子どもと一緒に遊ぶと、このアンテナはさびつかない。受信能力が高まります。遊ばなくても、子どもの成長、発達は基本的なこと(寝返り、つかまり立ち、はいはいなど)は見ていたらわかる。でも細かいことは遊ばないとわからない。この玉の速度に目の動きがついていける、このボールの速さならとれるけれどこれより速いとムリ、とか。物をつまめるように、ひもを通せるようになった。みんな遊びを通じてわかるんです。

そして自分でおもちゃを作ると子育てに意欲が出てきます。買ったおもちゃよりも数倍思い入れが違う。それは妊娠中にできるといいですね。昔は布オムツを縫っていたのだったら、今は布おもちゃを作ればいいんじゃないかな。赤ちゃんが生まれた時にベッドサイドに自分で作り上げたおもちゃが5つ、6つ並ぶ。それで我が子と遊ぶ。自分も子どもの目線に降りてみて、へたくそでもいいから遊ぶ。「いないいないばあ」や「ずいずいずっころばし」ならできるでしょう。関わりをもつだけでも十分です。それで子どもの成長発達に気づいてあげる。すると自ずとどういう道具を選べばいいのかわかってきます。

料理を作り始めると、どんな道具が必要かわかります。料理を作らない人間がいきなりオーブンを買っても、結局使わない。必要かどうかはやり始めればわかる。ハードから入っちゃいけない。遊ばせるのではなく、できる範囲内で一緒に遊んで欲しいです。
 

おもちゃの選び方

 

ふたつめの視点は、子どものためだけにおもちゃを買ってあげるのはやめましょうということです。ファミリーのために、お母さんがクリスマスに自分のために、おじいちゃんが孫と一緒に遊ぶために買ったっていい。これさえあれば年末年始、家族で楽しめそうという視点で選ぶ。そうすると流行玩具やキャラクター玩具という視点だけではなくなります。

昔は孫を楽しませるエンターテイメントなおじいちゃんがいっぱいいましたね。今は遊び力や演出力が低下しているから、感性を磨いてほしいです。こういう視点が加わると、遊びの道具ひとつひとつの家族のとらえ方が変わってくる。コミュニケーション・トイになってくるんですね。

今子どもたちが求める物を親が買う。それは、コミュニケーションを遮断したものが多いです。テレビに向かって、ひとりで遊べるおもちゃ。観光とかで電車の中でうつむいてゲームしたり、行楽地のベンチでやっていますが、あれはどうなのでしよう。

子どもにとって一番大切なことは、いろんな人間ともみ合う、もまれ合うという摩擦ですね。摩擦というとマイナスに考えますが、私はプラスにとらえています。いろいろな人間とつきあうことによって、引き起こされる文化磨擦が肥やしになる。今の子どもは人間によって起こる文化摩擦がなさすぎると思います。

 

年齢別のおもちゃについて

 

ヨーロッパのおもちゃ屋さんで、年齢表示を見てびっくりしたことがあります。「6歳から99歳」って書いてあるんですよ。面白かったですね、この考え方。すべてのおもちゃがエイジレス・トイになったら理想ですね。日本はあまりにも赤ちゃん用とか3歳用とかピンポイントです。中には赤ちゃんの時の通過点のようなおもちゃはある。でも3歳児は全国どこでも同じ発達ではないわけで、目安にはなっても、とらわれる必要はないでしょう。普段子どもとつきあっていれば、どのレベルのおもちゃと向き合わせることができるか、自分の感性でわかるはずです。

おもちゃの分け方としては、コミェニケーション・トイ、インテリア・トイ、ヒーリング・トイと、いくつかあります。

コミュニケーション・トイは、コミュニケーションが豊かになる、潤滑油になるおもちゃですね。インテリア・トイは、遊び終わった後に飾りたくなるようなもの。日本の今の多くのおもちゃは、ほとんどが片付けたくなるものばかりですよ。大人のセンスに耐えうるものが少ないのです。だから親は仕方なく買う。多少はデザインにこだわってほしいです。

日本の郷土玩具はだいたいインテリア・トイです。今と普とはおもちゃへの考え方が違っていて、昔は自分の思いや考えを形に表したものをおもちゃと呼びました。メッセージ・トイとも呼べます。そういうおもちゃの歴史が圧倒的に長いんです。物だけは残って、文化が残っていないことってたくさんありますね。

ヒーリング・トイというのは、このおもちゃがあればほっとできる、安心できるというもの。新しい視点ですね。成長発達とおもちゃの関係という話しは昭和40年代から延々とされています。でもそれだけじゃなく、違った切口から見つめ直してほしいです。

 

おもちゃを媒介に世代をつなぐ

 

他にもスキンシップ・トイというのがあります。沖縄のハブなど代表格で、相手の指を触らなければ遊べない。日本以上に欧米諸国のほうが受けます。こういうユーモアのあるコンセプトが大好きですね。私は高齢者にこうしたさまざまな要素を兼ね備えたおもちゃをと考えています。フランス製の赤ちゃん人形で夜の徘徊がなくなったケースもあるんです。そのおばあちゃんは子育てをしているから、添寝をしたり、ミルクを飲ませたりする。だから非常識な時間に起きたりしなくなったというんです。

おもちゃを生活道具として考えて福祉や医療、教育の世界に切りむこみ、文化・創造ができないかなと考えています。

おもちゃそのものよりも、おもちゃのむこう側に関心がある。今まで、老人ホームや障害児施設におもちゃ美術館を14ほど作ってきました。地域の赤ちゃんがお母さんと共に老人ホームにやってくるとおばあちゃんと赤ちゃんが出会い、おばあちゃんが変わる。笑顔と会話が増えるし、ベッドから起き上がってくるし、赤ちゃんのために何かしてあげたくなるんですよね。これからもおもちゃを媒介に、世代をつなげていけたらと思います。(談〉

 

多田さんにお会いして

 

子どもにとっての遊びの意味やおもちゃの役割について、熱く語ってくれた多田さん。「おもちゃはあくまでもコミュニケーションのためのツール。子どもと子どもを、親と子を、そして人と人との間をつなぐものです。だからおもちゃ美術館でなくても、ここが絵本博物館だっていい」と言われ、おもちゃや絵本は"子どものもの"だと思い込んでいた大人の考え方が、どこかかたよっていたのではないかと気づかされました。これさえ与えておけばいい、というおもちゃなど、実際ないのですね。大事なのは人と人との関わりであって、おもちゃはそれを円滑にするためのあくまでも手段、応援団なのだと改めて教えられました。

子どもとの楽しい遊びのひとときは、抱っこや笑顔、会話からはじまります。いないいないばあのような手遊びを楽しむうちに、自然と身のまわりのものからおもちゃ遊びにつながっていくでしょう。そんなとき、親子の間に一緒に楽しめるおもちゃとの出会いがあるといいですね。子どもも大人も夢中になれるおもちゃ――そこから笑顔が生まれ、会話が増え、コミュニケーションが広がっていくことでしょう。

 

 

多田千尋さんのプロフィール

 

芸術教育研修所所長、おもちゃ美術館館長。芸術や遊び、おもちゃを通して、子どもの福祉文化向上、世代間交流の実践、子育て支援等に取り組む。

おもちゃ美術館

 

この記事は、2002年度の「コミュニケーション」(子育て協会発行)より転載しています。

 

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