■子どもをありのままに認める

■心配のゆくえ  

 ファンシーグッズやスマホ画面、そして恋バナ(恋愛話)の話題に盛り上がる子どもたち。その中で高一のA子は浮かない顔をしています。B子が自分の陰口を言っている話を聞いたからです。子の口調に傷ついているのですが、実は誰にでもいい顔をして嫌われないように振る舞うことに疲れているのです。

 

 A子は「最近、すごく自分を変えたいって思う。人と関われば関わるほど、人の嫌な所が見えてうんざりする。そこで上手くやっていけない自分に一番うんざりしてあきれる。もっと器用になりたい」と悩んでいます。

 

思春期は、自意識が高まり人間関係に敏感になります。同時に自分が小さく見えて自己嫌悪に陥りやすくA子のように悩む子は少なくありません。

 

「疲れたー」と帰宅していたA子はしばらくして「学校を辞めたい」と母に言います。母親は子どもの力になろうと、なぜ辞めたいのか、なぜ学校に行きたがらないのか原因を探しだそうとしました。

 

「どうしたの、学校で何かあったの?」「せっかく入ったのに」「辞めてどうするの?」「働くの? 辞めた後のこと考えている?」「就職だってできないよ」とまくし立てました。A子は押し黙って何も言えなくなりました。母親の不安はつのります。

 

 

A子のように入学後しばらくして、辞めたいという子は少なくありません。本当に退学したいというより「辞めたいほど心が辛い・苦しい」ということが多いようです。苦しいと言えずに辞めたいと弱音を吐いただけ。自分の気持ちを察して欲しいと思っているのです。

 

親は驚いて不安になり、問い詰め責める言葉になります。「辞めちゃダメ」と言ったり先ほどの言葉も、親自身の不安を自分自身で打ち消すために出てくる言葉です。「心配だから聞いているの」といいますが、話はA子の気持ちとは別の方向に行っていますから、A子は何も語れなくなります。すると親の不安がさらに大きくなり、子どもは親に話が出来なくなります。

 

 

■心配は種は不安から

 

「心配」は、元々は心を配ることで気遣いをすることだそうです。近年は不安があることを心配というようになりました。

 

子どもの出来事や状態が親の望む状態でない場合に不安を感じます。その不安を心配といったりします。心配性の人は不安の固まりですから、自分が安心したいので過干渉になります。すると子どもを問い詰め責める言葉になりがちです。

 

親が子どものことを「心配している」というときは、「私は不安なのよ」ということです。すると不安な気持ちが子どもに伝わります。心配するのが親の愛と思いがちですが、不安からの心配は愛ではありません。不安だから私を安心させてと言っているのと同じですから。心配ばかりしてきてもらった子は、親の不安をたくさん抱えてきて傷つきやすくなります。

 

例えば、過剰な心配をされてきたM男は夜遊びをするようになりました。「最近、親がとってもウザイ。何をしてもキレてくるしウザイですよ。もう話しかけないでほしい」と言って皆が寝静まった深夜に帰宅するようになったのです。

 

親の役割は、子どもに自分の不安を伝えるのではなく、子どもの不安を受け止めることです。「そうだね」「疲れるよね」と子どもの立場で聞いてあげたいものです。「嫌なことは、嫌だよね」というように大切な人(親や親友)に認めてもらうと、はじめて子どもたちは「嫌なことは嫌だ、でも嫌でないこともあるかもしれない」と思えるようになっていきます。人は、自分の気持ちを受け取ってもらうと、安心して別の視点に向かえます。

 

場合によっては詳しく話さないこともあります。そういう時には子どもにとって大切な世界があるのだろうと受けとめることも必要になります。

 

さて子どもは未熟ですから、注意喚起をしなければいけない時もあります。心配な時は、自分の不安からくるものなのか、そうでないのか自問したいものです。

 

ところでスポーツ選手の活躍には感動することが多いです。試合前に選手が「試合を楽しんできます」とコメントしています。かつて忍耐や根性論が幅を利かせていた時代にはなかった言葉です。監督もコーチも弱点を指摘してミスの無いように心配していたのでしょうか。今はプレッシャーがあっても選手を信頼してリラックスできるようにしているのでしょう。楽しんでくるとコメントする選手は大きな成果を残しているように思えます。私たちも子どもが出かける時、「心配している」ではなく、「楽しんでおいで」と見送りたいですね。

 

 A子のお母さんは問い詰めないでいることにしました。その後、A子は嫌なこともあるけれど部活は楽しいからと学校を続けているのです

 

 

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