◆ 失われたもの 

「先生、時間あいてますか」こうして時々S子がきます。

「M君のことなんです。トイレについてくるんです。トイレから出るときもついてきて・・・。それにすぐ近くに引っ越して来たり・・・。」

「M君の家は?」「○○の団地です。駅のホームで一緒になるんです。」  「あなたの駅とは一駅離れているよね。」「でも近くなんです。」

「それでトイレのことは?」「トイレに入る後ろから来て、出てきたらまた側に歩いてきたんです。」

「それは何回ぐらいあったの。」「…1回です。」

「それから教室にはいるとき、入り口に立っているんです。2、3回あります。」

 「そのとき何か声をかけられたの?」「前はおはようとかいわれたけど・・・。今は何も。」「Sさんは何か返事したの。」「・・・」

「そう…。あなたもおはようって言えると良かったかもしれないね。おはようって先に言った方がとても気持ちが楽になるよ。先に言われたら、どんな風に返事しようかなとか、言いそびれて返事しなかったらどんなふうに思っているかなとか、いろいろ心に残るでしょ。挨拶は先にした方が、とても気が楽になるよ。おはようって言われていやだなと思う人は少ないからね。でも、返事してくれないと、辛いね。」こうして挨拶のもたらす意味を説明していくと「はい」とにっこりするS子。

「それで、M君は、他に何かしてくるの。」「いえ、何かついてくるような気がするんです。」

「もしかすると、それは偶然、たまたまそういうことがあったと一つ考えられるよね、トイレも一回だけでしょ。あるいは、M君があなたに好意を持っていて、お話ししたいなぁと思っているかもしれない。だから、あなたの側にくるのかもしれない。3つ目は、もしかすると、彼があなたに嫌がらせをするつもりかもしれない。でもM君はそんな人じゃないと僕は思うよ。どれだろうね。」

「あなたもこれから、好意を持った男性からお話ししたいと声をかけられるかもしれないね。その時の練習と思った方がいいかもしれないよ。」うなずくS子。

「次にM君に会ったら、先におはようって声をかけてごらん。彼もにっこりして返事をしてくれるかもしれないよ。言えなかったらそれでもいいから、彼の様子を見て見ようよ。嫌だなぁと思うことがあったらまたおいで。」

  長々とS子の相談を再現しました。小学生のような相談ですが、驚くなかれ、彼女は24歳です。彼女の悩みは、つきまとわれることよりも異性の視線にさらされる不安や人とふれあう不安なのです。

  いじめを受け、人を避けるようになった彼女は、親しく会話する人がいません。閉ざされた精神内界に生きてきたため、異性にときめき集って事に興ずる思春期もなかったのです。冷酷で残忍ないじめ被害の一例ともいえますが、子どもが受けた「ふれあう不安」に対するケアの重要性について考えされられます。

  彼女は周囲の人との接し方、交わる仕方について話すこともなく生活して来たのです。これは極端な例のように思えますが、不登校で極端に緊張している子にも同様の傾向が見られます。

  勉強はできても極めて控えめな様子とあまりの幼さに、教師たちには面倒な子と疎んぜられて来たようです。けれどもS子のメッセージは、大きな警告のように思えます。

  挨拶は、声を掛け合えていけば皆ができるようになるものではない。「おはよう」ってなぜ言うんだろう。挨拶ってなぜするの? そんな当たり前とも思えることも、一つ一つ解き明かして、説明していかなければならない子ども達がいる。そんな時代が来ているように思われてなりません。

2000年5月