今川君の体育の授業は、いつも個人プレーか「壁席」です。バレーボールなどチームプレーの時は、体育館の壁際に座り、呼んでも引っ張っても動きません。パス練習の時には先生が引っ張って、皆と離れたところで先生と個別練習をしますが、後はすぐに壁席で過ごします。バドミントンの時は、一人で壁面に向かって打ちます。身体機能は普通ですが、仲間と一緒にできないのです。

  「遠藤君、今川君の相手してくれる?」「いいすっよ。」クラスメートがやろうというと、ステージ脇の部屋に閉じこもってしまいます。

  彼は、教室で誰ともおしゃべりをすることもなく、普段の授業も一人ぽつねんと座り、休み時間は教室にいられません。職員室に近い廊下をふらふらする廊下トンボになります。芸術科目など選択授業で教室が変更になるときは、留年ぎりぎりまで休んで廊下や保健室、非常階段などで時間をつぶすのです。選択授業は、座席が決まっていないため、緊張が高まり不安で教室にいられないのです。

  話し相手のいない彼は、小遣いのほとんどをCDの購入費に当てています。音楽情報にはとても詳しいのですが、それすら話題にできません。

  今川君は特殊な例ではなく、毎年同様の子ども達が入学してきます。人と交わることへの大きな不安感が心の奥底にあり、孤立を保つことで集団の中にいる安心感を得ているのです。ですから部活も行事への出席も無理強いしないで、一人でいたいときには、そおっとしています。

 そして「今日は調子良さそうだね」「やあ」。そんな返事を期待しない声かけを続けます。「今日は、朝ご飯と昼、一緒だった?」うなずいてくれたらしめたもの。様子をみて話す時間を作るのです。

  こんな時、不登校周辺の子どもや、まわりにとけ込めない子どもに私がよく使う言葉はHere and Now。そして、いまここに。何もしていなくても、今こうしていること、いられるようになったことがとても有意義なことであると伝えるようにしています。

  コミュニケーションは、相手の話しかけにどう応えようか、その繰り返しですが、相手が話をしている最中には、何か話さなくてはと考えてしまい、聞いている間、心は緊張しているようです。話かけられると、何を話そうか、どのように返事していいか、話したことで相手が嫌な顔をしないか嘲笑されないか、そんなことで頭の中が一杯になるのでしょう。ですから相手の話もゆっくり受け止められず、会話が恐いのです。

  私たちは、子どもの返事や反応を知らず知らずのうちに求めがちですが、何も答えなくていい関係を持ち続けることで安心感を得るのでしょう。長い期間そんな関係でいると、外から開けられなかった心のドアは、内側に開くようです。

  時間が取れるようになると家族の話などを聞いていきます。「お姉ちゃんは、指図したりしない?」「お父さんは、お酒飲むの?」返事はまだるっこしく、時間がかかりますが一つ一つ絞り出すように声が音になっていくのです。

  「人が傍にいると落ち着かない」「教室に入るのになにか不安があるんです」「お父さんは怒鳴ってばかりで恐い」と自らを語れるようになったのは入学後の3年たって17才の時でした。そのような時、彼らの内心は、Now からFutureへと変わりつつあるように思えます。

1999/11/15