青年期の風景3

 

■友達をする

  友だちについて絵美(15才)は次のように書いています。

  「理解できないのが友達関係。すごく変なことばかりでちょっと不思議に思う。すぐ味方だの、敵だの、裏切っただのって…。だからって、友達同士、強く結ばれているのかと思えば、すぐ友達やめるとか言うし、『そんなに簡単に友達やめられるなら、はじめから信用させるな』と思った。だいたい友達ってすることなの? ……で、すごく仲の良い3人組があったと思えば、影でお互いの悪口言い合ってるし、だったらそこまで深入りするなとどなってやりたい。」

   とても攻撃的な文ですが、内心は友達関係が破綻し傷ついて、辛い思いをかかえ、安らげる友達を欲しいと希求しているのです。激しい口調で驚きますが、友だちへの信頼感がないことに怖さも感じさせます。

  「友達をする」という言葉に象徴されるように、友達関係ははかなくもろいもので、希薄です。心でつながった関係ではなく、プリクラやCD、ヘアケア品等の見せあいっこ、PHS等の媒介物でかろうじてつながっている「擬似的友達関係」といってもいいでしょう。

  学校では孤立を怖れ、集団を作ります。その集団も深い友情に結びついたものではなく、孤立から逃れるための擬似的な友人関係で、学校外では電話もしない、会うこともない関係が増えています。ですから、容易に関係はほころび傷つくのです。

  今の子どもたちが生きていく上の、大きな苦労や辛さはこのようなところにあるのでしょう。共通の目標に向かって努力し、時にはライバルとして切磋琢磨する。互いの人生観、世界観を批評批判しあいつつ考え方を養う。相手を信頼し様々な悩みや葛藤について心を分かち合う。「友達」に持つこのようなイメージは、必ずしも共有されていません。

  相手を批評すれば傷つきます。下手をすると「いじめ」ととらえられかねません。友達の生き方への干渉は最小限にします。自分も干渉されたくないのです。こうして「自分を傷つけない人」が友達として求められているのです。このため友達は「相手のいやなことは言わない」希薄でもろい関係となっていくのです。

  中学で情報の授業をきっかけにパソコンを購入してもらった祐子(16才)が心を許せる人は、インターネットで知り合った匿名氏です。

「友だちには悩み事は話さないの?」「ちょっとだけ。深くは話さない。」「どうして?」「だってどこかで話されたら嫌じゃない。絶対誰かに話されて漏れるし…。そしたらいい気持ちしないし…。友だちには悩み事は話さないよ。」「じゃあ、困ったときとか、相談したいときはどうするの?」「Eメールの友だち。誰だかよくわからないから、気が楽だよ。」

  人間関係でのせめぎ合いに疲れた祐子は、学校ではポーカフェイス。深夜のメール友だちと、ロックコンサートに集うときがつかの間の慰めになっているのです。

  青年期はアイデンティティを確立する時期といわれます。けれども、これは友だちを得ることによって可能になる発達課題です。その前段階の「友だちって本当にいるの?」この前で逡巡しているのが今の子どもたちのように思えます。「友だちになる」関係を持てないまま、「友だちをする」関係で大人になっていく。そんな子ども達が増えているようでとても心配です。

2000/7/23 高橋健雄 ©