ほめること
■ほめないで下さい

  皆さんは子どもがテストで高得点を取ったらどんな声をかけますか。
「よくできたね、すごいね」とほめる。「よくやったけど、ここのミスはどうしたの。次はポカミスをしないようね」と評価する。

「このくらいで満足していたらだめよ」あるいは「よくやったね、もっとできるはずよ」と励ます。

「平均点は? ○○君はどうだった。じゃあもう少し頑張らなくちゃ。」と評価する。いろいろなかかわり方があります。


  ある時「子どもをほめないで下さい」とお話しましたら、お母さん達がどっとざわめきました。子どもをほめましょうというのが一般的な常識になっているからでしょう。ほめて育てるのは思春期にはいるまで。それもあまりほめすぎずと私は思っています。


 親のいうことをよく聞いたから。よい成績、○○を頑張ったからなど、何かが出来たからほめるということの背景には、親の期待やこうなって欲しい子という望みがあります。
 このような望みはありませんと言える親なら心配ないかもしれません。しかし、勉強やスポーツ、芸術などの習い事で子どもの能力が伸びることに喜びを感じない親はいないでしょう。子どもへの励ましが、90点取ったら何円、100点取ったら○○を買ってあげるなどとほめることと褒美とが結びついてエスカレートする親もいるのです。
するとほめて励ますことが、習い事や勉強を強いる方法になり、子どもを操作する事になってしまうのです。


 また子どもの能力が伸びたとしても、漫画の多読、ゲームの攻略ができるようになったといってほめる親はあまりいません。逆に叱られるのです。ほめるのは親の期待にそった子どもの能力の一面なのです。


 いつもほめない夫が、「お母さんの料理はおいしいし、服のセンスもいいね」などとほめた時には、何か下心があると思ったりしますよね。子どもも思春期になると、親の期待やその背後にあるものを感じ取るようになります。

 


 勉強でほめられて来た子どもほど、不安感が強くなります。学習結果次第では叱られるという恐れを持つようになり、また勉強以外についての価値観が低くなるからです。ですから、ほめられないことはしなくなり、逆に見返りを求めたりするようになります。また学校では成績の低い子をバカにするようなったりします。

■優れていなくても

 そのような時は、ほめたり、叱ったりすることをまず止めることです。あなたのしていることは、どんなことでも価値のあることという受け止め方をしていきましょう。

 イギリスの教育学者A.S.ニイルは「賞を与えることは罰を与える場合と同じこと」といいました。ほめることは他の子に嫉妬を産み、物事への興味を強いるからです。興味や関心は強いられて生まれるものではありません。またほめることは上位の人が下位の人を評価することにつながるからです。
 さて、お母さんから「ほめないで、どうするのですか」と質問されました。
 子どもが嬉しくよかったと思っている時は、「よかったね」「嬉しいね」と大げさにではなく共に喜び、失意のときは「残念だったね」と悲しみを受け止めてあげたいものです。このように共感し、感情をサポートされると、支えられていることを実感して努力できていくのです。


 子ども達は、先生から「よくやった」と言われると、とても嬉しそうな表情をします。評価する人からほめられた喜びです。親は評価する人ではありません。ほめることについて私は否定しません。けれども何かが出来た、優れたというのではなく、何も出来なくてもほめられることが望ましいと私は感じているのです。今日のお母さんは何点ですと言われるよりも、いつもありがとうといわれる方が嬉しいですね。


特に優れていなくても認めてあげること、うまくいっていない時は叱咤激励するよりも「よくやっていると思うよ」とその子なりの努力を承認してあげたいものです。広い意味ではこれもほめることになりますが。
これを読んで下さっているお母さん、あなたも日々毎日よくやっていると私は思っているのです。

 高橋健雄

 

 

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