A男は好青年です。「失礼しました」と近頃珍しいくらい礼儀正しく、控えめ。交友関係も広く携帯電話の番号を教えあう姿が印象的でした。授業も積極的で、担任から期待される一人でした。

そのうち、男がしつこくて困る」「付きまとわれている」「○○君も誘われた」そんな話が出るようになりました。

様子を見ていると、駅で待ち伏せしている、逃げても追いかけてくる、断わっても断わっても駄目だ。放課後に遠くに連れて行かれる。父母からは、子どもが深夜になっても帰宅しないと相談が入るようになったのです。

生徒は感情的になって、クラスの雰囲気がどうも落ち着きません。気短なT男は、「ぶん殴れば済む」から先生は口を出すなと牽制します。普段は穏やかなM男までもが、緊張感を漂わせています。

 

男の行いは、ME正会(宗教団体)の勧誘でした。マスコミでも高校生の被害者が急増していると時々報道されています。携帯電話で友人知人を次から次へと勧誘し、団体の人と同伴で施設まで誘導している様子。私たちも危機感をもって生徒と話し始めました。

男の話によると、「遊ぼうよ」のメールで行って見ると、大人の人と一緒で施設に連れて行かれたと言います。何時間か仏法をして、入会申込み書に名前を書かされるのです。記名しないうちは、なかなか帰宅させてくれません。

その後の誘いが尋常ではないようです。断りもなく家に入ろうとしたとか駅での待ち伏せなどがあるというのです。こうして生徒は逃げ回っているのでした。阪神大震災で仏法をとなえている人は生きられたとか、地震が起きるとか脅され勧誘手口の強引さに辟易しているようす。「あいつら人間じゃないよ」男はそう言い放ちました。

 

 「幸せになれる」「運が良くなる」そのような甘言に惑わされた子は少なく、「友達からの誘い」で行ってみたのです。友達、友情、相談に乗ってくれないか、そんな友人関係の機微を突いてくるので子どもたちのやりきれない不満がなかなか沈静しないようでした。

 

 A男は、目を伏せがちに自らに言い聞かせるように応えます。

「今まで、何をしても駄目だったんです。これをやったら、変われるかもしれない」「そう思ってやってみたら、人生が違ったようになったんです」「だから勧めているんです。必ず幸せになれるんです」。

彼の信仰心と信念は確固たるもののようです。確かにA男は、宗教団体によって救われ、そこに生きる道を見いだしたのでしょう。そう語る背景には、さまざまな挫折体験があり、孤独と疎外感、深い悲しみや人知れない苦悩が大きかったことを示していました。父母とA男とは理解しあえる関係ではなく家出同然の生活になっています。両親はA男の行動に為すすべもない状態で、親から離脱する方法が入信だったのだろうかと感じられる雰囲気でした。

 

「幸せになれる」と強調する背後には、それまでの不幸がどんなに大きかったのかという訴えや不安が隠れています。青年は時として意固地と言っていいほど頑なになることがあります。燃え上がるエネルギーが燃焼するときに、同一化しようとする対象が他者にとって危ういものであっても、潜在的な不安を覆い隠してくれるものに固執しやすいのではないでしょうか。受容してくれる場所ならなおさらです。

 

試行錯誤する青年期は「私」を自問自答する時期です。「今までの私」から「これからの私」への追分路に照らされる灯火が、友人との信頼感でもなく家庭での安心感でもないとしたら、先行く道は明るいでしょうか。霊的なもの、瞑想、チャネリングなど精神世界への関心が高い現代は、私を受け入れてくれ私を支えるものがカルト的なものになる可能性は充分にありえるのです。

さて信仰の自由は最も重要なものの一つですから、慎重な配慮を求められます。君の信仰は尊重するけれど、友人の自由も尊重しなくてはね。こうした話し合いの後、生徒から村八分になったA君は、残念ながら登校しなくなったのでした。