「俺は親父に復習するんだ。大人になったら絶対あいつをぶっ殺してやる」。こう言い放ったY君のことが忘れられない。

彼は、下校時に玄関前で飲食のゴミを散乱させて大騒ぎしているところを注意された。止めようと広げた教師の手と胸が交差したときに激昂しキレてしまった。殴りかかろうとしたところを仲間に止められ、怒り収まらず近くにあった自転車を蹴り倒し、さらに投げ飛ばして幾台か破損させてしまった。翌日、事情を聞いている最中にふと漏らした言葉だった。

Y君は騒いだり授業を抜けだしたり、傍若無人な態度で困らせていた。反省の弁はなく「A先生が触ったからだ」「危ないじゃないか」と非を認めず、相手の些細な行為を非難する。恐れや不安から自らを守ろうとする常套手段だ。

出来事を順に確認し、なぜキレたのか言い分をゆっくりと聞いていく。彼らの主張や論に間違いの多いこともあるが、否定せずにうなずきながら「なるほど」「そう」「お前、それでカチンときたのかい」。「それじゃ頭にくるな」と同情的に聞くようにする。

人は安心感なしに語ることはできないものだ。その安心感をどうしたら感じてもらえるかが問題行動を起こしたときにいつも問われているように感じる。学校生活の至らないことをあげつらい、我慢を強いる強圧的な指導は一時的に面従腹背するばかりで、結局は不信感を増大させることにつながる。

“思っているとおりのこと聞くよ”というメッセージが伝わり、一方的な処分(指導)にはならないと伝えることで怖れをなくすのだろう。話は広がり学校や教師への不満等が語られることも多い。こうしたことから抑圧された様々な葛藤や暴力肯定の人間観、さらに行動の仕方や物の見方がどのようにして形成されてきたか時として伺い知ることができる。

「自分のどんなところが好き?」には「好きじゃない」と応え、「じゃあどんなところが嫌い?」と聞くと「分からない」という。「誉められたことはない」と言い、「罰はいつも殴られること」だったという。

「死にたいと思った時は?」「ヘルメットで殴られたとき」。彼は三歳の頃から殴られていた。そして、思春期になり様々な出来事を起こしてはまた殴られる。感情の表出の仕方を暴力という関係性の中で育まれてきたのだろう。「親と思うときは?」「殴られたとき」。矛盾のようだが問題を起こしては父に殴られる、その瞬間が父との距離を近くに感じられる時のようだった。このような時は、暴力はいけないという正論は彼らには響かず追いつめることになりやすい。キレるときの感情を解きほぐしながら過去へ遡っていく作業が必要に思う。

両親への感情は様々な思いが交錯して口が重くなることが多いが、15歳になり離婚した母の苦労を実感するようになって先の言葉が出たのだった。甘える仕方も知らず育ってきた悲愴な人生だ。「憎くい父と同じ行為をしている自分自身をどう思う?」。そんな問いかけに彼はじっと考え込んで沈黙する。表現する言葉が見つからないようだったが、沈黙はもう一人の自分と対話するのにかかせない。父への仕返しは、父と同じにならないこと。そう言っても彼が理解するには時間がかかりそうだった。

反社会的な行動をする子どもたちは、表面では反発しつつも実際は自分の深い心を聞いてくれる人を求めているように思う。そういう人に巡り会えないことが彼らの不幸なのだろう。さて、家庭訪問した住居には生活用品がとても少ないので違和感を持っていると、母親が語り出した。「一ヶ月前に逃げるように越してきたんです。布団も食器も何もなく、ここにあるものすべて友人が用立ててくれたものなんです」。日常的な父親の暴力で、母親は肋骨を何ヶ所か骨折し目は白内障になっている。母子はDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者だった。

父親も不遇な家庭環境で育ったらしく「この子も、最近父親そっくりになってきましてねぇ」と、子どもの様子に深い悲しみをたたえて語った 母親の言葉が重く残った出来事だった。

 

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